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医師の社会的地位 梁暁声 TVドラマを見て [中国語学習]

最近YouTubeで中国のTVドラマ2本見た。長いのではまらないように!

2本共に靳东主演の病院を舞台にした医師のドラマ

テーマは医療道徳、大災害(SARS,水害)時対応など

狭い領域の話題なので、中国語学習者の負担が少ない。

的距

 

演,李晨担李晨潘虹李佳高鑫崔心心等人出演。40集。

该剧主要述了医工作者在现实的种种制下不懈追求职业理想、克服不解与偏的故事。201310月山视频道,卫视播。サーズ。

外科

 

鸿制片,李雪执导,朱朱编剧白百何李佳航刘奕君何杜娟等人主演的都市医励志电视剧44集。

该剧讲述了在代化合性的仁合医院,由一起29年前生的事故所引的故事[3] 

该剧20174月在北京卫视、浙江卫视。水害。

 このドラマはともに大都市先端病院の物語だが、農民と都市住民の医療格差、保険事情、受診手続き、先端医療など、中国特有の構造が垣間見える。

最近立て続けに読んだ梁暁声の本を見てみたところ、医者の社会的地位に関する小文があった。そこで、これを訳してみた。中国らしい人間関係「社団」が興味深い。

この人間関係は社会システムの欠点を補うもので清濁併せ持つとしている。中国よりシステムが整備された日本では、個人孤立の弊害が目立ってきている。

 

 梁晓声 2017中国人的人性与人生」「医生的位置」 P108-111

 

あなたの最も尊敬する「10種類の人」という民意調査があった。職業別順位調査である。

 しかし私には職業で尊敬できる、できないを分ける基準がない。その理由は、尊敬できる人がすべて尊敬できる職業についているわけではないし、尊敬できる職業についている人の中には尊敬できない、あるいは好ましくない人もいる。もし尊敬を重要に読み替えれば次の序列になる。

  一 農民、二 政治家、三 科学者、四 医者、五 教育者

 医者の社会的地位は、現在ますます高くなっている。勿論国内外を問わずだが。第四位から前におくことも、科学者の前に置くことも、甚だしきは政治家の前にさえ、そうしても政治家はきっとそんなに不満はないだろう。人は生きているので、飯を食わねばならないし、出来るだけ病気になりたくない、特にガンのような生命に危険の及ぶ病気になりたくない。しかし現在病気になる人は多く、がんになる人も多い。一旦癌になったら神のような医者でも手だてが無い。しかしそれでも差はある、発見が早いか遅いか、治療が間にあるか間に合わないか、手術の効果---いい医者いい病院なら永らえることもできるが、そうでなければ三ヶ月、半年でお陀仏。

 現在一種の社会現象として「社団」が多くなった、校友会、戦友会、なに会、なになに会だ。何人かが何かの縁で一緒になると、急いで渡りをつけ団体を作る。少なくとも集まった内のこの数人とあの数人が、ある部分と別な部分の人たちがというように。旅行で一度ご一緒、勉強で一期ご一緒、遊びや勉強そのものより、何人かと知り合うことのほうが大きな収穫なのだ。当然人が人と知り合いになることも学問。共通の話題をもちたい人もいれば、役に立つ人と知り合いになりたい人もいる。しかし役に立つ人とは、ほとんど共通の話題はなく、役に立つ分野だけの共通話題がある。

 別な社会現象は、どんな社団、あるいはわずかな人数で作った集団でも、医者は大抵欠かせないものだ。医者は一職業にすぎないが浸透力が非常に強い、世俗から高官まで、だれもが医者と知り合いになりたいものだ。医者本人が落ち込んでいて付き合いがとても億劫であったとしても、周りの人たちが医者と知り合いになりたいという渇望を減らすことはないだろう。

 考えてもみよう、知り合い主治医のいない局長や局長相当の人がいるだろうか?内科や外科の専門医師に知り合いのいない首長がいるだろうか?庶民が運よく看護師、受付、問診医師と知り合いになり、その人たちにも誠意があればだれでも大いに喜ぶものだ。そうではないでしょうか?それは病気になったとしても病院が近づきがたい存在ではなくなったと言うことを意味する。あなたは裏口で急診受付票をもらい、医師の診断時には、多分言い含めてあって、34分で終わりというようなことはなく、細かく調べてもらえ、いい薬や、新薬、特効薬を処方してもらえる。

 もし一個の社交圏内に一人も医者がいないとしたら、社交圏と呼べるのだろうか。そんな社交圏は構成不良である。

 誰の電話帳にも、看護師、医者或いは病院勤務者の名が見やすい場所に記入してあるでしょう。

 このような関係は時には大きな財産で、親密な親戚か、昵懇な間柄、または深い同情、憐み、惻隠、慈悲などがない限り普通は誰にも教えない。

 中国人と医者との関係は、人間関係の中で最も重要なものである。一般人が局長部長に取り入って知り合いになることはない。医者となると話は別だ。

 中国人と医者の関係は、運よくそのような関係を構築できた人にとって、非常に価値ある特許のようなものだ。

 中国の最近の「社団」現象は、本質分析によると、これは激変する時代に対する憂患だ。医者はすべての人間関係の中で、最も喜ばれる、その理由は次の二点といわれる、第一に、中国人はこれまでのいかなる時代より自分の命を大事にする。これはすなわち社会が進歩したことを意味する。そうではなく、自分の命がどうでもいいと言うのは社会に対する人の責任が極端に低下していることだ。第二に、診察を受けると言うのは中国では懸案の大問題である。絶え間なく改善しているが、なお大変なことだ。特に普通の庶民にとって。

 時代の発展の恵みがすべての人に平等にいきわたらない時、発展の負の面が強烈にある部分にしわ寄せが行くとき、人は時代と距離を置こうとする。それで人と社会の仲介関係が生まれる。中国式の「社団」は中国人と今の中国の「長所を伸ばし短所を抑える」選択なのだ。受動的でもあり主体的でもある。普通の中国人は社団が生まれることで社会発展の利益を受け、発展の負の面の苦しみを弱めたいと願っている。さらに社団には小規模だがすべてそろっている、すべてがその中に包み込まれていることを願っている。ガスの交換。子供の託児、転校、病気、入院、葬祭、もろもろすべてを面倒見てくれる。私はいつも一人の主治医、一人の内科、あるいは外科、或いはその他の専門医が人間関係の輪の中でまさに名付け親のような地位にあると思っている。

 だから医者という職業は二重に重要な任務をおびている。一つは広範な人々に対する任務、もう一つは社会のある階層、あるいは人間関係内の人々に対するもの。これは医者が自分自身で自由にできるものではない。

 最近多くの大病院で専門家診察を始めている、これはとてもいい事だ。平民にも専門家に見てもらったり手術してもらう機会が生まれた。

 最近「中国高級医師案内辞典」という本を読んだ。この本が世に出たことはとてもいいことで、人民を幸せにする高徳の積み重ねである。重い病苦に悩む平民にもこの本をよりどこに探せば高級医師の治療を受けられる。これを使わない平民は、もっぱら彼らの人間関係の中で一人の高級医師、あるいは一人の専門家をさがし、「天の縁(えん)」があってはじめて実現するものなのだ。

 高級医師と医科専門家にとって同じようにいいことがある。それは彼らを「層面」範囲の任務から解放すること、彼らの高名な技術貴重な経験を真の意味で人民にささげることができる。私はこの一点は間違いなく彼らの希望にかない、十分報われるものと考える。この点と医者という一職業の人に対して平等な人道主義原則が一致する。

 そうでなければ一致しない。

 最後に、私は高級医師と医科専門家のみなさんに言いたい、一人の平民があなたの前に座った時、ぜひとも特に注意深くそして我慢強くみていただきたい。彼らは高級医師や医科専門家診察治療を受けたくても、電話で連絡するなんてできない人なのだ。彼らはもともとあなたのことは知らないのに、知り合いになりたくても、知り合いになんかなれない人だ。彼らになり代わってちょっと考えてみてください、あなたの前に座れるようになったのは、彼らはとても運が良かった、多分想像を絶するような努力が必要だったはずだ!

 よろしくお願いします。

訳者メモ

否定の強調が難しい 最後の段落の中国語

他们不是想接受一位高级医生---,就可以通过电话联系上的人。不是は可以にかかる。

 


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当世中国青年階級分析 中国の将来を背負う人材はどこから? [中国語学習]

梁暁声 (2017) 中国人的人性与人生 P92 当今中国青年階層分析 

 外は酷暑、熱中症を避けて家にこもっていて、面白そうなタイトルにひかれつい読んでしまった。実例が多いので面白い。なお先日亡くなった人権活動家は梁暁

   原文はNET上で読める。例えば、ここで。

この文章は2011年頃「中国社会各階層分析」で発表されたものらしい。日経テクノロジーで永井氏が紹介している

 まず前提データ

人口データ(中国政府統計2015)

 総人口13.7億   

都市人口7.7億人(56%) 

農村人口6億人(44%)

青年人口(20-39)  4.26億人   ただし中国の青年年齢定義は18-39

■階級人口 近年市中に流布されているものだが一般性はない。

中産階級 家庭年收入17万元至45万元(2016年 約300-800万日本円、於北京上海広州深圳、これは全国平均の2)で家アリ、金融資産あり 

   2.5憶人 全人口の18%

都市平民階級 5.2億人 全人口の38%

■大学入試の不公平

本文章中に出てくる北京上海では大学入試試験に苦労しないと言う表現の根拠:

北京上海に住む受験生は優遇措置があって、他の省、都市居住の受験生より低得点でも入学できる制度。

 

筆者は当世中国青年を以下の4階級に分類している。

1.  お金に困らぬ「富二代」 資産2億元(35億日本円)以上 1万人強 

    尊敬に値する人材を輩出する可能性は少ない。

 

2.  中産階級の子女 全体の18%    

    中国の未来文化を創造する人材がいる。

3.   都市の平民層の子女 全体の38%      生活に汲々

4.   農家の子女     全体の44%      現状妥協

 IMG_2691梅雨の三浦房総.jpg

 ここからは拙い訳文

お金に困らぬ「富二代」

 新聞によると中国には現在資産が2億元以上の富豪が1万人余いて、彼らの子息を南方では「二世祖」と呼ぶという。巷には彼らの話題があふれ、いつも興味津々だ。その種の新聞は、彼らのさまざまな状況、主にお金で手にしたしゃれた生活を、行間に嫉みをにじませつしつこく書いている。しかし「二世祖」は中国の人口13億数千万に対し1万人、当代青年4億数千万に対して1万人、とても小さな比率でまったく普遍性なく、また彼らが金持ちの「二世祖」だからと言って、マスメディアが特別に注目する意義はないのではないかと思っている。彼らの挙動が社会に劣悪な影響を与えたら、譴責と批判、彼らが社会に対し有益なことをしたら褒め支持する、このような報道原則に基づいて彼らに対応すべきだ。そうでなければ彼らを無視してもいいだろう中国には注目すべき群体がとても多く、「二世祖」がどんな名車を運転とか、どんなペットを買ったとか、第何回目の恋愛相手は暇で何もやることがないとか報道するのはばかげている。マスメディアは社会の「複眼」だ、過度にスターを追っかけるのはうんざりで、いつもわけもなく「二世祖」に注目する、そんな「複眼」は重たい病気にかかっている。

上述の「二世祖」があるために、所謂「富二代」の定義はどうしてもあいまいになる。「二世祖」を含まない「富二代」はふつう次のような青年とされる---家は豊かで、夢はとても簡単に実現、例えば海外留学、車や家の購入、結婚など。彼らの消費傾向は往々にして高級で奢侈である。「二世祖」と同じように彼らは往々にして名車を所有する。彼らの家庭の資産は有形、灰色部分に分けられる:有形資産はわかるが、灰色資産ははっきりしなく、彼らの父母でさえわからない。私の所のある大学院生がかつて弱弱しく私に言った「先生、人と人の差はとてつもなく大きい。私のような学生は卒業後省都に帰って暮らそうとしても、家はため息の出るほど高い。それなのに知り合いのある種の学生は、恋愛した途端双方の父母が金を出し合い北京に彼らのために居室が3室の家を、それも各人に一戸つずつ買い与えた。さらに結婚となれば彼らにいい車を買い与える。北京の家はずっと高いのにあの人たちは高いのを気にかけない!」 このように「ある種」或いは「あの人たち」は即ち「富二代」なのだ。

私はこんな例も知っている。娘が海外留学し、スターになる夢が芽生えどうしてもTV俳優になりたかった。そこで母親が娘を連れて帰国し、あちこちつてを頼り、ある劇団の監督と知り合いとなり、劇の中のちょっとした役につけてくれたら、お金は一銭もいらない、逆に劇団に数十万元寄付するといった。監督はその娘には俳優の素質はないと言うと、それなら私が娘を助け、娘に思う存分やらせなければと言った。 その娘は疑いもなく「富二代」だ。

このような「富二代」の人生の辞書にはふつう「金がない」という字はない。彼らの家族特に父親は、或いは私企業の社長、或いは国営企業高官、実権を把握した役人だ。もし役人なら、彼ら自身でもその灰色資産がどれだけかはわかっていないだろう。彼らはお金に困らない生活を楽しみつつ、「二世祖」を横目に見て、彼らより自分たちのほうが生活様式、消費様式ともに余裕があり、常に彼らに負けないことを喧伝している。

国営企業高官や実権を持つ役人を父母とする青年にたいして、社会全体が深い関心を持っていなければならない。この種の父母の中には、明らかに弊害ある現体制の利益をもっとも享受し無意識に体制を擁護する人が少なくないからだ。このような親たちは社会民主、公平、正義の推進に対し不安、反感をもつ。このような父母の「富二代」が中年になり有力な或いは強力な発言権を持つと、かれらが頼みにしている親密な利益集団の立場に立ち、本能的に保護作用を発揮するか、またはそれほど私心なくその利益集団を超越して社会の公平、平和、正義の立場に立ち、社会の良心に符合した発言をする場合もあり、括目して待てばいい。もし彼らに後者のような中年になってほしいのなら、今から公平、正義など文化自覚を活用して、彼らにヒューマニズムの影響を受けさせなければならない。しかし文化的ヒューマニズミの影響力(文化的人文思想)について言えば、私の見るところ、中国では、彼らに対する影響力はわずかであるだけではなく、広範な青年に対してもやはり落胆させられる。したがって、私が将来の「富二代」を見る目は、全体的に鬱々としたものがある。彼らの中から社会的良識を備えた尊敬に値する人を輩出する可能性を排除はしないが、少ないと思う。

 

中国では、上述の「富二代」の人数は、だいたい12千万より少なくはないだろう。これには同様に十分財産のある人や、文芸娯楽界で特別成功した人の後代は含んでいない。しかしその人数は限りがあり、個別に論ずる意味はない。

 

中産階級の子女

世界のどの国でも中高級知識人家庭は中産階級の不可欠な部分で、少なければ1/3、多ければ半分を占める。中国は特殊で、20世紀80年代以前は少数の高級知識人を除くと、一般の大学教授の生活水準は、町の平民層の生活水準より少し高かったが、実際にはあまり高くなかった。20世紀80年代以降彼らの生活向上幅は大きく、彼らは改革開放の直接の恩恵を受けた群体であることは争えない事実である。住居条件は言うに及ばず収入状況から見ると、知識人家庭の生活水準は一般的にサラリーマン階層より高い。他にも中産階級にはいれそうなグループがある。最低のグループでも生活水準はいわゆる小康を越えている。

しかし2009年以来の住居価格の暴騰で、中産階級の生活状態は脅威にさらされており、彼らは心理的に深い傷を負っており、挫折感を持っている。私の語言大学の同僚を例にとると、子供の結婚の資金援助のために住居を買い、二三十年来の蓄積を使い果たしただけでなく、息子も百万元の借金を背負い、所謂「房奴」になったが、購入したのは八九十平方メータの狭い住居だけだ。ほかにも夫婦両方が五十数歳の大学教授は、二十数年教壇に立ってきて、手許に数百万の預金はあったが、息子が結婚年齢になり、住居価格が猛烈な勢いで上昇するのを目のあたりにして、どうすればいいのかわからず、いたずらにどうしたらいいんだと叫ぶしかなかった。彼らの子供は皆高等教育を受けた青年で、大学の学歴、修士、博士があるのだが。このような青年は結婚後奮闘して中産階級になるはずだったのだが、今その可能性は大幅に低下し、夢は遠のいてしまった。彼らが順調にホワイトカラーになるのには何ら問題はないが、ホワイトカラーはしょせん中産階級とは違う。中産階級はつまるところこのような「産」がある階級と言える。少なくとも人生の終末に自分が所有権を持つ住居があるべきだ。たとえ結婚後夫婦二人が各自給料万元でも、2居室の住居を買おうとすれば一部父母に立て替えてもらったとしても、百数十万元の借金が残る。毎年十万元返しても、返済には十数年かかる。また彼らが就職し月給が万元になるには、給料が隔年上がったとしても十年かかる。だから前後を加えると二十数年になり、彼らは五十になってしまう。五十歳になってようやく2居室住居を所有し、やっとのことで不動産を所有できたとしても、ただの「小康家庭」で、「中産」ではない。おまけに彼らは父母になる。いったん子供ができればその部分の支出が多く、その心配も無視できない。それで自分に所有権のある住居を持つ目標は、彼らから遠くなる。もし双方の父母のうち1人甚だしきは両方同時に、あるいは前後して難病にかかれば彼らの家庭は推して知るべしだ。

幸い、私の理解しているところでは、この種の青年は知識人の後代なので、知識出身といういいイメージを盾にして貧富差のとても大きな社会の強烈な圧力に対し闘う。彼らは比較的楽観的だ。彼らの普遍的な主張は、今を生きる、今をしっかり捉まえる、今を楽しむこと。もっと問題にしているのは、今現在がいい味わい、いい感覚かどうかということである。この一種将来をおろそかにして瞬間を楽しむ生活態度(カルペディエム)、そんな態度を見る度に父母たちは首を振り振りため息をつき、自分たちのほうがもうすこし賢かったと思うのだった。さらに彼らはだいたい今の青年たちと同じく晩婚主義だ。内心ひそかに独身主義も彼らの中には少なくない。正常年齢で結婚するのは約三分の一、「ディンクス」主義者はいくらでもいる。

今の中国の青年のなかでも、彼らは特に精神的な享楽をとても重視している。彼らはファッションを好み、比較的精細なものを好み、往々にして高雅である。彼らは都市文化の主力消費者で、文化に対する要求は厳しく、ある時には辛辣である。彼らのうち一部は一生赤貧だが、落ちぶれると言うほどではなく、草の根に沈むわけでもなく、弱者と言うほどではない。物質生活面で富かになるのは彼らにとって簡単ではない。かれらは中国の精神貴族になりたいと考えている。実際彼らにはYappiの特徴があり、精神貴族の特徴がある。

どんな国にも精神貴族はなくてはならない。まったくいない国の文化は取るに足らない。たとえアフリカの民族部落であっても、彼らの文化楽しむ精神貴族がいる。

彼らの中に、中国未来の高品質文化を守る人間が少なからずいる。この種の文化を守る人間は彼らの中からだけ出現すると言うのではなく、必然的に彼らの中から発生し、彼らの中から発生するのが必然的かつとても多いと言いたい。

 

都市の平民層の子女

この階層出身の今の青年で、特に高等教育を受けた者の内心はもの悲しく痛ましい。彼らの父母、子供の大成を望む父母、この類の父母は大抵不遇な人生を経験しているので、青年時代にいい生活をしたいと言う願望が強かったが、その夢が社会にでて粉砕される。この夢がまだ胸の奥深くにあり、時々それが光を放つ、まだその願望が残っているのだ。その人の身になってみれば確かに心が疼く。これまで中国の都市の平民の生活は農民に比べ確かに良くなっていて、農民の羨望の的である。しかし現在農民に比べいいかどうかは定かではない。現在都市の平民は少なからず裕福な農民を羨んでいる、少なくも農村の別荘のような二、三階建ての家を見るととても及ばないと嘆息する。しかし農民が彼らと変わりたいといっても、必ず首を振って断る。彼らはもう何代も都市に根付いており、植物でも人間でも水と土が合わないかもしれず移動は冒険だ。人の場合、水と土が合わないからと言って戻ることはできず、痛みは強くなる。

「暮らしは、子供のできによるんじゃないの」これは都市の平民の父母の間でのよくある会話で、唯一希望を託すのは子供で、いい暮らしをする唯一の手がかりで、家庭全体が生まれ変わる希望だ。ゆえに子供とは、運動のコーチと選手、ボクシングコーチとボクサーの関係である。彼らの見方では、社会はまさに大きな競技場である、これは基本的に事実、少なくとも今中国では疑いもない事実だ。だから彼らは重々しく、厳粛な表情で子供に言う「こどもや、我が家の生活はすべてお前にかかっておる」都市の平民出身の青年は、小さい時から大きくなるまで、このような話を聞いたことない子が何人いるだろうか?

こんな話と十字架にどんな差があるだろう?言外の意は お前は有名大学に受からなければならない、有名大学を卒業してようやくいい仕事にありつける。いい仕事にありつけば出世するチャンスがある。出世した子を持つ父母だけがお前のことを人前でひけらかすことができ、幸福で尊敬される生活を送れる。そうなってこそお前は父母の期待に背かず……言葉には出さないが父母はそう思っているんだ。

そこで子供は理解する……父母の要求は私が社会のレースで困難を乗り越え金賞金ベルトを獲ることだ。そこで彼らにとって、小学校から大学まで学校は競争の場や闘争のリンクになる。北京や上海を除いて、どの省のどこの都市でも大学に合格するには終日骨身を惜しまず勉強しなければならず、有名大学に受かるにはもっと容易ではない!ふつう規則では有名大学に受かるにはまず重点小学校に入らなければならない。平民家庭の子供にとって重点小学校に入るのは有名大学に入るのと同様に、甚だしきは有名大学に入るより難しい。有名大学に入るには成績が良ければいいが、重点小学校に入るには賛助費が要る。平民でなければ耐えられる。往々にして借金して払ったとしても、コネがみつからないときも。したがって家柄を変えると言う重々しい十字架を背負った平民家庭の子女は小さい時から霊魂を中国教育制度に売渡し、試験の得意なロボットと化している。しかしたとえ重点小学校、重点中学校、重点大学に入り最後に龍門を跳び越えたとしても、今ようやく龍門あたりにいるが、まだ単に小魚でしかなく、社会に踏み入れると、仕事を探すのは普通の大学よりましだが、給料は大して高くないない。修士、博士も大差ないので一層落ち込む。

その他に普通の大学だけに合格した場合、子供は大学入試試験が終わると父母に申し訳なく、さらに大学を卒業するとさらに申し訳なく感じる。給料の一部を月月父母に渡し、自分が使えるのは少ない。父母に渡さなければ、良心が許さず、メンツが立たない。生まれ育った町にいれば、結婚を考えなければ、一年一年と実家を頼って住み、毎日父母のを食べる、「老人をかじる」とは言わないが実際上かじっている。実家から離れている場合、自分が「蝸牛」の「アリ族」になってしまったことを親に言いたくはない。農村の貧困家族の子女と同じように彼らは中国の不幸な、苦しんでいる子供たちだ。

中国はこれから大々的に国際イメージプロジェクトに数千億元を浪費するが、少し節約して、この苦しんでいる子供に使ったらいい。これは正しいことだ。

彼らのうち大学に合格した者は、ほとんどが意志の固い青年。

彼らのうちには心理的問題が出てくるものもいる、彼らへの関心、暖かさがなければしばしば自殺、自虐行為、他人を傷つけるような悲惨な事件をひきおこす。しかし彼らは全体として危険な群ではないが、心のうちに最も鬱積し途方にくれている群であり、悩み多く、痛み多く、苦しみもがいているにもかかわらず救いの手が差し伸べられていない群である。

彼らの心は感情に敏感だが、世渡りは無関心だ。彼らを援助する人にたいして、彼らの心理は感謝にあふれているが、往々にして自尊心を傷つけられた痛みを覚え、ときに感謝を表わさず、冷ややかさをよそおう。これが彼らを替わった性格と思わせる。こんな時には彼らは内心もつれ苦しみにさいなまれている。彼らは同情よりも公平を望み、優しい付き合いよりも心からの友情を望む。

かれらと心からのつきあいする人はだれでも、強力な信頼心を持っている、彼らは主人に忠実な犬のようにその友情に忠実だ。彼らのそんな友達は付き合いにくいが、付き合い始めると一生の友となる。一般に彼らは軽々しく或いは先に友情を裏切ることはない。

彼らはまるでジュリアンのようだ。ジュリアンとの違いはあの大きな野心。事実上彼らの人生の願望はとても現実的で、簡単に満足でき、とてもありふれたものだ。しかし彼らにとって、「一回でもチャンスをくれ」これが彼ら心の中でひそかに何遍言ったかしれない言葉だ。しかしまだ一つ問題がある。この言葉はチャンスをつかんだ人に大声で話す必要があるのだが、彼らは往々にして同時代人に比べ話す前の心理負担が大きい。

 

彼らのうちの意志の強いものが、将来不屈の個人のバックアップの下奮闘し世の人の偶像になるか、社会貢献、ヒューマン思想力十分な有数な人物になるだろう。

ヒューマニズムは通常豪華な生活する人とは無縁である。トルストイ、ユーゴは例外で、彼らの人生を調べると、貴族出身だがかつて一度も豪華な生活を誇りにしてはいなかった。

農家の子女

IMG_2695鹿.jpg

家が農村にある大学生、あるいは就職した者、家が比較的裕福で、南方のように山紫水明で環境がよく交通の便のいい農村で、大都市で戸惑いを感じた者は、都市の平民青年より少ない。これは彼らの農民父母の彼らに対する要求は高くはない。彼らが都市にしっかり根を張り一家を構えれば父母は喜ぶ。もし彼らが都市に住みにくく、省都に帰って働くのなら、父母はやはり喜ぶ。彼らは無駄に大学に入ったのではないと考える、たとえ彼らが近くの都市に帰って仕事したとしても、父母は少し残念と思うが、すぐに残念というのは過去のことになる。

とても少ないケースだが、大学に入った子女に「我が家はお前に期待している、お前で我が家の先祖代々の農民という運命を終わりにしてくれ!」という農民もいる。一人の高等教育を受けた子女が必ず完成できる使命ではないことは彼らも知っている。彼らは子供に高等教育を受けさせるがそれは単純な発想だ、子女が高等教育を受けて生活がよくなるなら、教育を受ける価値があると言う考えだ。中国の農民はおおかた子供が親に報いることは期待していない。彼らの子女に対する期待より土地への期待依頼の方が強い。

したがって幸運にも比較的豊かな農村、村、小さな集落に住み家がある者が、大都市に出て学び、大都市に漂泊していたとしても、都市の平民学生青年の精神状態に比べ、いくらか気楽なところがある。彼らには退路、我が家がある。家庭が睦まじければ、門は永遠に彼のために広く開いていて、家族はいつも彼らの帰るのを歓迎する。だから仮に彼らの都市での住居がコンテナだったとしても、南方ではすでにコンテナを彼らの住居とする現象があるのだが、彼らは往々にして歯をくいしばって耐えている。彼らが大都市にとどまって苦しみながら奮闘、甚だしきは何年大都市を漂流してたとしても、これは完全に彼ら自身の選んだ道であって、家族からの期待による圧力ではない。もしも彼らが本当に働きつかれれば、家に帰り休養、しばらく調整する。「おさなごが花にむらがる蝶をつかみ、みんなは木につるしたブランコをこいで」(訳注1)、「松が花の小道をふさぎ、雨の中で花が窓の格子に」(訳注2)のような家に帰れる。このような家の戸口に座り、「竹馬を取り合って乗り、隣の花をこっそりとる」など昔のことを思いだす、これはまさに療養に等しい。たとえかえらなくとも、このようにちょっと考えるだけで疲れは吹っ飛ぶ。彼らが学生、会社員、アルバイトであったとしても精神的達観で支えられている。ある種の達観であり、楽観とは思えない。達観できると言うことは彼らにとって素晴らしいことである。

彼の故郷が農村或いは辺鄙な貧しい農村なら、大学の学生か、大都市の就業者か季節アルバイト工かで、その心境はことなる。

季節工青年はふつう最終的には家に戻るのだから、季節工が家に帰ると、たとえ年一度の祝日の帰郷であったとしても、心配が募り、楽しい気持ちはない。

大学卒業生が帰っても意味はない、彼ら自身、そして彼らの家庭にとっても意味はない。省都でも、町でも、大学卒業生に見合う仕事はないので、彼らは省都や村にも戻るのは難しい。農村には直接大学卒業生を採用するような村の官吏はないのだ。だから農村出身の卒業生が「あきらめない、絶対にあきらめない」で都市に残るというのを都市や社会は理解しなければならない。

 

もっといい時代だ 

最悪な時代だ

 

この二句はCharles John Huffam Dickensの小説「双城記A Tale of Two Cities」の冒頭の言葉。それはつまるところどんな時代かは、いちいち書いてない。Dickensはいい時代を前に、悪い時代を後にしているが、これはそんな時代を肯定していることを意味する。以下に彼の書体を借りて言えば:

当代の中国青年、彼らにはみんな失望させられる。

中国当代青年、彼らは中国の未来を託せる青年だ。

彼らには失望させられると言うのは、中年の目から見ると彼らはたくさんの病を持っているようみえる。諸病のうち一人っ子のあまえ、傲慢、自己中心という悪い習性、娯楽を追究し教養を軽んじ不真面目な態度は不快である。

彼らには中国の希望を託せる、彼らは1949年以後真摯に人間性を発露した年代で、忠実従順意識の遺伝子が最も少なく、本当の意味で生まれ変わった年代だ。彼らの目には世界は本当に平らで、彼らの思想の底部には民主、自由、人道主義、社会公平正義の尊重と追及があり、それ以外のいかなる年代よりも本能的で強烈である。

まだ彼らの影響力は顕在化してないが、彼らが全体として一旦声を挙げたら、十中八九進歩思想同調者や公明正大な人たちになるだろう。

IMG_2685ゆり.jpg

    (訳注1)

寒食        王禹偁
    今年寒食在商山    山里風光亦可憐 稚子就花拈蛺蝶    人家依樹系秋千
  
   郊原曉綠初經雨    巷陌春陰乍禁煙 副使官閒莫惆悵    酒錢猶有撰碑錢
   

(訳注2)

《蜀中杂诗二首》 阎尔


江干琴史購零星,金石敲殘指血靑。羅漢松遮花裏路,美人蕉錯雨中櫺

繅絲錦迎蠶虎,過峽賨船祭鼈靈。題罷雪樵行樂卷,可憐宦亦漂零。

仲冬天氣似花朝,巖壑蒙茸翠未彫。半截雲藏峰頂墖,兩來船斷雨中橋。

漁邨烏柳圍金橘,僧閣香枏蔭鐵蕉。地接蕃駹人習苦,荒山紅葉女郎


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尴尬 真実と嘘 真実なら話していいか [中国語学習]

尴尬 概念分かりにくい。

ふとこんな話が目にとまり訳してみた。


本当の話で難局[真话的尴尬处境]

    出典 梁暁声「中国人的人性与人生」現代出版社 2017/1 P51

 

年を経るに従い話すことを習得し、さらに徐々に嘘をつくことをマスターする。嘘をつくのは、本当の話をすると往々にして自分自身ばつが悪くなったり、話し相手にばつの悪い思いをさせるからである。甚だしきは相手を怒らせ、抜き差しならなくなり、災難だ。

IMG_2271天一永和.jpg

言い伝えによると、清朝光緒年間にある巡視役人 [撫台]が粗末な私服で街に出た。そこで一人の揚げパン売りの少年に逢い、聞いてみた「ここの巡視役人はいいやつか?」少年は言った「つまらないやつさ。」撫台はそれを聞くととても怒ったが、ぐっとこらえ、言葉も顔色も変えなかった。役所に戻ると、少年を連れてくるように命じ、数十回叩きの刑に処した。

その後少年が大きくなると、世俗的に言えばとても前途有望な青年になった(とても見込みある人物になった。心深く刻み込まれた本当のことを言ったあの時の教訓にとても感謝していた)[后来这孩子长大了,按俗常的眼光还颇有出息(他能颇有出息,实在得感激说真话的那一次深刻的教训)]

 あるとき大臣が彼に話した、

大臣「この文章どう思う?」

彼「いいと思います。」

大臣は頭を振った。

「ある面からいいと言いました。」

大臣は頭を振った。

「私は申し上げたのはある面から、それは焦点を。」

大臣は頭を振った。

「正確に言えばこの文章は少しロジックが混乱しています。」

大臣は頭を振った。

「要するにこの文章は表面的にはよいが、本質的にまずい。はっきり言えばとてもまずい文章です!」彼は威厳ある口調で最終結論を言った。大臣は実は服がしっくりこなかったので頭を振っていたのだった。しかし大臣の彼に対する意見にとても満足していた。   

 大臣は国王の前でたくさんのいい話をしました。ある日国王は彼を召して言った「この詩をちょっと読んで、言ってくれ、お前は今までにこのような筋の通らない詩を読んだことあるか?」

彼は詩を読むと言った「陛下、何についてもあなた様の慧眼には恐れ入ります、この詩は私が今まで見た詩の中で最も劣悪でばかばかしいものです。」

国王は問うた「この詩の作者は自分自身非凡だと自負している、そうだろう」

彼は言った「ご尊敬申し上げる陛下様、それに勝る評語はございません!」

国王は言った「この詩は私が書いたのだ。」

「そうですか?」

彼は心の中にとてつもない不安がかすめた。ただちに不安を抑えて、両手で体中を撫でまわすふりをして敬虔に言った「ご尊敬申し上げる陛下様、ご存じないと思いますが私は高度の近眼で、さっきあなた様の詩を見たときには眼鏡をかけていませんでした。眼鏡をかけてもう一度読ませていただけませんか?」

国王はぎこちなく肯いた……

彼は眼鏡をかけもう一度読むと崇拝するような口ぶりで言った「おう、ご尊敬申し上げる陛下、このような詩天才が書いたのでなければ、天才はどんな詩を書くのでしょう?」

国王は笑って彼を見て言った「以後、正確な結論を出す前には絶対に眼鏡をかけ忘れるでないぞ」

私はこの3個の話を短く編纂したのは、風刺のためではなく、嘘を話す技巧がいったん経験されると、本当の話の存在意義は無くなると言うことを指摘するためだ。本当の話は命ある物と同じように適切な生存環境がいる。この生存環境なくして、本当の話を話すのは愚の骨頂であり、嘘は聡明でかわいいものだ。社会の良識と文明が本当の話を話すようどれだけアピールし、要求し、鼓舞しようとも、本当の話は土の奥深くにうぬもれた発芽しない種と同じようにおし黙っていて、嘘の話は大手を振って歩きまわるものだ。

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梁晓声 千年の病竈  中国人の奴性はどのように形成されたか? [中国語学習]

千年の病竈 中国人の奴性はどのように形成されたか?

出典:梁晓声 千年病灶:中国人的奴性是怎么形成的?」人民網

http://history.people.com.cn/GB/205396/17320585.html

    これは「中国人の人性与人生」現代出版社、2017.1などにも掲載。

中国人は意外にも今に至るも「奴性」にこだわりがあるようだ。

乱暴にこの文章を要約すると次のようになる。

①中国人の奴性は漢民族が宋代に金に征服され、その後元(モンゴル族)、清(満族)征服されたため形成された。

②その後抗日戦争で劣性を捨て去った。

③しかし最近の2,3億の農民出稼ぎは一人っ子で甘やかされ劣性階層を形成。

 中国漢民族はほかの民族に征服されても、結局はそれら民族を吸収同化してしまった。しかしその過程で「奴性」を手にした。そののち、日本は中国を侵略したが、漢族を征服できないどころか、彼らに奴性を捨てさせる契機となった。

奴性を捨てるのに太平洋戦争が大きな役割を果たしたこと、今も中国で「奴性」があると言う主張が新鮮で、この文章を訳してみた。メモとして残しておく。

 IMG_1650岳飛S.jpg

 

「国民劣根性」問題は、「五四」知識分子がまず提起した。これについて誰もが魯迅を思い出す。実際は魯迅だけではなく当時知識人すべてが注目していた。どうにもならないと嘆息する人あり、心を痛める人あり、心こめて啓蒙する人もいたが、魯迅はその不幸を悲しみ、闘わないのを怒った。梁啓超は魯迅以上に「国民劣根性」を糾弾した。陳独秀は「新青年」創刊早々激論を発表した:1919年以前に生まれた者は死ね、1919年以降生まれたものだけが生きるべきだ!どこからこんな言葉がでたのか?国民劣根性に焦点を当てたのだ。彼の言わんとするのは当然肉体のことではなく思想、精神のことだ。蔡元培、胡適も国民劣根性の存在を否定していない。彼らは寛容な君子型知識人であり、同胞を厳しく糾弾するに堪えなくて、思想の啓蒙で直せる、教育で救国、強国をめざし優秀な新しい国民の種を育てた。蔡元培は北京大学学長就任演説で次のような希望を表明した:自由な精神と独立思想を持った新しい国民を養成するという彼の教育思想が彼の本来の願望を表している。

聞一多も国民劣根性について考えている。しかし矛盾があった。友人の海外で優生学を学んでいた友人の潘光旦が聞に手紙で、中国人が優生意識に欠けていると書いたところ、聞一多は返信で「お前が西洋理論で中国人の種族上の劣勢を証明したら、ピストルを手に入れる方法を考える。お前が帰ったらこの手で殺す」。

しかしながら、彼は「よどみ」という詩を書いている。

 絶望的なよどみ

清らかな風でもさざなみがたたない。

捨てられた屑同屑鉄のほうがいい、

いっそお前の残飯や食べ残しの菓子をぶちこもう。

もしかしたら銅は翡翠になり、

鉄の缶のさびは桃の花びらに。

よどみの油被膜で絹織物を編もう、

ばい菌が雲や霞をわかせている

 このような詩は明らかに国情や国民の劣根性を詩としたものである。聞一多は外国から上海に帰るや、時をおかず五・三〇事件が起こり彼は怒り悲しんで「発現」を発表した。

私は来た、私は叫んだ、血と涙に飛び込み「これはわが中国ではない」違う、違う。

なぜ彼は違うと思ったのか?海外滞在時に得た見識から、その時の中国国民が活気ないと強く感じたのだろう。違うと言うのは国家のイメージと国民の活気ない精神状態を受け入れられないと言うことだ。
 当時中国人は、外国人に東アジアの病人とバカにされ、自分たちをアジアの眠れる獅子に喩えていた。獅子は元来獰猛だが、当時我々は麻酔を打たれ、永遠に眠って、怠け猫の類だった。

 清末以前、中国の思想家は国民性について論じているが、その劣性について論じても、それは人類の普遍的な弱さ、劣性についてであって、決して中国人固有のものとは考えていない。

だから、私たちはここで第一の問題、ある種の劣性は中国人だけの先天的で固有なものかという問題に触れる。

私の答はノーである。
 人類は駿馬や良犬のように優勢交配繁殖できない。いくつかの人間性の欠点や弱点は人類普遍で固有なものだ。そしていくつかの劣性は人類だけのもので動物にはない、例えば貪婪、恩義に背くこと、陥れること、虚栄や偽善など。だから人類普遍の弱点、欠点、劣る点についてことさら中国人を批判してはならない。ただ歴史、文化のちがいで、その国の人に広くある種の劣性を生成することはできる。例えば西洋の欧米アメリカは資本主義の継続期間が長く、ある種の列強劣性がある。そのうち最も劣悪なのは奴隷販売、種族への偏見である。

 当然これは彼らの歴史である。

 第二の問題、中国人の「かつて」の劣根性の主なものは何か?「かつて」ということを強調するのは、現在の中国と五四以前とは大きく異なり同日には話せないからである

当時民族の「劣根性」の主なのは奴性(主人の目を盗んで怠ける)で、「五四」知識分子が絶望したのは奴性である。奴性はどのように形成されたか?中国の歴史をさかのぼる必要がある。

かつて唐代中国人の劣根性を批判した人はいない、中国の古い書籍にも記載がない。唐詩は豪快、ロマンティック、格調高い、これが私たちの唐人の国民性形成するのに大きな影響を与えている。唐詩の上述のような特徴は宋代早期の詩詞、蘇軾、欧陽脩、範仲淹に受け継がれている。

しかし宋中期になると、宋詞には頽廃、無聊、言葉のあそびのような自己憐憫などが現れ始めた。傷心涙、相思情、莫名苦、などの言葉が宋詞に頻繁に出でてくる。今日の文学愛好者で詩詞が好きな人の中で、男性は唐詩を好み、女性は宋詞を好む。唐詩は男性の心をつかみ、女性は宋詞の少女趣味を好む。

唐詩の性格が宋後期になぜこのように変わったのだろう?

北宋はしばらくして金に滅ぼされた。いま宋詞三百首を開くと、第一首は宋徽宗の「宴山亭」:

 白絹を裁断し、軽く折りたたむ、淡い口紅をむらなく塗り、

流行のきれいな服、あでやかで美しい色彩にさわやかな香りに溶け込み、

天上の蕊珠も恥ずかしくなるほど。

容色衰え、無情の風雨を経験し、悲しい情景にあい、寂しい庭を訪ね、

また何回かの春暮を経なければならぬ。

そのつがいの燕には世間の苦しみはどうしてわかろう。

天は遥か地は遠く、幾千幾満の河や山に阻まれているのだろう、

昔の園は今どこかわかるわけがない。

夢の中で行ったことはあるが、その夢さえ見れない、

つらい夜寝れないのだから。

宋徽宗が見た夢はどれも大宋王宮に帰りたいと言う夢で、哀れにも囚われの地で亡くなった。

「人の世はたえず移り変わり、今はやがて昔になり、未来はやがて今となる。(子登-孟浩然)朝廷繁栄と交代は、歴史のなかでは常にあることだ。しかし王朝が全く異なる文化に滅ぼされるというのは別なことだ。北宋は完全に滅亡したわけではなく、一部の臣は長江以南に逃げ「南宋」歴史上では「小朝廷」をたてた。「大宋」から小へそしかろうじての存在、これは南宋人の心の痛みにならざるを得なかった。ナポレオンが英国の島で囚われの身で亡くなり、当時のフランス人は心を痛めた。このようなことはどこの国でも傷となり恥である。

よってこの時期の宋詞は豪放にはなりえなく、悲しい句しかない。南宋の士から庶民に至るまで間違いなく憂慮すべき状態、南宋はいつ滅ぶか?という事態だった。人々に全く安心感がないのにどうして豪快に、ロマンチックになれようか。当時李清照は歌っている「今になって項羽のことを思う、江東を越えるのは気乗りしない」

SIMG_2130秦檜.jpg 

その後果たして南宋も滅亡した、この時滅亡させたのは元で、元は都を大都に作った。

元朝統治下の人々は4等に分けられた、第一等は当然蒙古人、第二等は色目人(西北少数民族)、第三等は「漢人」金統治下の長城以北に長く住んでいた漢人、第四党は「南人」南宋滅亡以降統治していた漢人。

更に元朝は科挙を廃止した。これにより前の王朝時代に官僚階級についていた人々の望みが消えた。仕官こそが古代知識人のもとめるものであることは周知のとおりである。同時に「駆口制」を実施した。これは南宋捕虜とその一族を元官吏の奴隷と規定し、売買可能、贈り物可能、殺してもいいとした。さらに「匠制」を実行し、数百万の職人を「匠」とし技工の職人奴隷とした。南宋の官吏については「誅捕法」を実行し捉まえては殺したので、彼らは山奥に逃亡し、名前を隠した。南宋の知識人は恐れおののき、「誅捕」に遭い、遁世するしかなかった。

漢族の詩性は完全になくなった、奴隷になりたくなくてもならざるを得なかった。集団的奴隷根性はここから始まった。

 枯れた藤が木にまとわりつき、枝には夕暮れに巣にカエル烏が住んでいる。

小さい橋の下には水がさらさら流れ、傍らに何軒かの家がある。

古めかしく荒れた道には、秋風がざわざわ、

渭匹の疲れ痩せさらばえた馬が前を行く。

夕日がゆっくり西に落ちていき、憂いと悲しみに満ちた旅人がはるかにさまよう。

 今馬致遠のこの詩を読むと、詩人が表現しているのは単に旅人の望郷の念と考えてしまうが、それでは彼の当時の心の中の悲しみをまったく理解していないのだ。

 当時巷ではこう詠われていた。

中華という、中華と申す、中華はいいところ、

元の皇帝が来て以来、十年間のうち九年間は荒廃。

 元朝享国92年以後明朝。明朝は平定から中興、滅亡という普通の経過をたどった。「初期の平定」は「専制」で、専制以外では初期平定はできないものだ。明朝の大興「文字獄」では、たとえ一編の詩でさえ目障りとみなされれば、一族郎党処刑された。270年後明朝は腐敗のため滅びた。

  次に清朝が起こり中国を276年統治した。

世界でこのような経過をたどった国は多くない、このような経過をたどればその国の人に根深い奴隷根性を植え付けると私は思う。奴隷根性たっぷりなら生き延びられる、所謂なるに任せれば生き延び逆らえば死ぬ。これが長くなると、奴隷根性が性格になる。嗣同が死をも惜しまずその奴隷根性を揺さぶったが、山を動かすのは簡単でも、奴隷根性を変えるのは難しい。

 魯迅はこの難点を悲しみ怒り、鬱々として「薬」を発表した。

それゆえ清朝が倒れると知識人はこぞって「国民劣根性」を批判した、彼らの見方は正しく、国民劣根性に対する処方は正しかったが、あるものは優しすぎ、あるものは激烈であった。

こうも言えるだろう。想像を絶する艱難辛苦と感動に値する八年の抗戦と国民劣根性に対する批判とには一定限の関係がある。この批判は疑いなく中国人の霊魂を痛めつけたが、この痛みの後、奴性を捨て去る勇気となった。

要約すると、今日の中国人は、決して梁啓超、魯迅がその当時あふれていた奴性が身についた、ぼんやりして無感覚な中国人ではない。我が中国人の国民性には、これまでにない変化があった。「国民」はただの「民」ではない。現在中国人全般に権利の保護意識が高まっている。一般的な概念の「民」は「公民」に転化している。民は官に発言する、民は役人、高官、政府に発言する、以前は言えなく発信しなかった。「楊三姉妹告発状」で告発したのは官、官庁役所だ。しかし今、これまで平民とみなされていた低階層の人や農民が官や政府を告発するのは当たり前で、奴性は明らかに中国人の過去の烙印となった。

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しかし、考えなくてはいけない現象がある、それは近年来の青年労働者の飛び降り事件である。彼らの多くは農家の子女である。父母よりも理性あるべき子女が死を選ぶなんて、親たちはあきらめきれない境地だ。彼らは親よりずっと脆弱なのだ。これは彼らが農家の子女であるのに実は小さいころから甘やかされたからだ。一人っ子たる彼らは町の一人っ子と同じように「宝」なのだ。だから以前の農家の子女に比べ、それほど農作業したことがない。彼らの投身自殺は「あまやかす」の別な表れと言えるかもしれない。さらにもう一点、もしも彼らが単調単純な環境秩序の中にいて、その秩序が脆弱な彼らの心に受け入れられ、また綿密な人間的な配慮がなければ、彼らは或いは徐々に秩序にあわせようとし、秩序を変えようという主体的意識もなく、奴性に似た秩序のもと無感覚になるか、それとも死をもってすべてを解決というような極端に走る。

2,3億もの多くの出稼ぎする農家子女を、発信力と理性、個人の利益意識そして集団の利益意識を持たせ、必要なときに権利意識を主張できうまく正当な行動ができる青年公民とするのは、全社会の責任だがその道は遠い。

  ネットが普及してから、中国人の社会的な事件への参加意識は限りなく大きくなってきた。特に公平、道義、社会的同情について中国人のこの方面へのかかわり方は情熱にあふれ、絶対に他国に引けを取るものではない。しかしネット上にはふざけた話がとても多い。

 これはユーモアと考えることもできる。ある種のことに対してはユーモアは確かにはっきりした立場を、時には芸術的な表現。しかしユーモア意外にからかう、どう行ったらいいかわからない。
 私個人はネットは公衆が公民社会の要求と意見の場であり、昔の農村の会議を開く場所でもあり娯楽の場でもあった郷場よりいい。会議開催が滑稽であるなら厳粛なことも娯楽になり、徐々に郷場の存在意義も単位娯楽場所に代わった。

  皆さん、時間は分母で、歴史は分子であることを強調させてほしい。現在からの時間が離れれば離れるほど、歴史の現実に対する影響が遠のき、ついには歴史は現在に対する影響がなくなり、単なる記事となる。そうなると人類の歴史に対する要求は、間違いのない正しい単なる真実で、公正な認識価値でしかない。逆に歴史を分母とするなら、人類は歴史から逃れられず、歴史の重荷を背負い、歴史の奴隷になるだろう。

 中国は多民族国家である。抗日戦争で、漢民族は試練を受け、漢民族をして生まれ変わらせただけではなく、漢民族と、満、回、朝、ウイグル等の民族との関係も試練を受け生まれ変わった。このように言えるだろう、各民族は空前絶後の団結をした。古代の歴史は漢民族をあのように、漢民族と他の民族との関係もあのようにした。近代の歴史では、漢民族、漢民族と他の民族との関係をこのようにした。

現実に影響するのは現在に最も近い歴史だ。

中国の現在に最も近いのは中国近代の悲惨な歴史で、それは中国人に深々とある種の歴史的な烙印を押した、とても敏感で強烈な民族主義という言葉でよく表されるものだ。当代の中国人の「国民性」を読み解くにはまさにここを出発点とすべきで、魯迅らのあの時代に総括した特性によってはならない。



注) 文中の投身自殺事件

自2010年1月23日富士康员工第一跳起至2010年11月5日,富士康已发生14起跳楼事件,引起社会各界乃至全球的关注。

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とっても簡単、中国個人旅行(2017年5月)、宿予約、新幹線、スマホ、カードなど [旅行]

中国個人旅行(20175)

 洛陽、開封など河南1週、上海、蘇州、杭州など江南1週合計2週間旅行。

飛行機、宿、列車などすべて自分で手配したが、2009年の成都旅行に比べ格段に快適であった。日本人には数人しか会わなかった!

外国人の多い沿海部と外人の少ない河南では旅行環境が違う。

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 1.ルート選定

 東京鄭州の場合、成田鄭州直行便=羽田北京鄭州<羽田上海鄭州だったので、それぞれの都合に合わせ羽田北京鄭州、羽田上海鄭州のルートで鄭州合流にした。これにはいくか落とし穴があった。

 

2.航空券 一般論として早く予約すれば希望の便を経済的に購入できる。

サイトによって予約できる便、価格に差があり面倒なもの。しかも予約したからといって安心できない。キャンセルや時間変更があり対応に追われた。

 ■便のキャンセル

中国国内の新幹線の普及に伴い航空便数が少なくなっているルートあり注意。そんなルートでは直前に(乗客が少なく)キャンセルされる可能性もある。例えば北京-鄭州間はこの時期12便しかなく、今回も乗り換え時間3時間の便がキャンセルされ、北京で9時間待つ便を提示された。やむなく前日出発とした。

羽田北京鄭州便をお願いした2社にのうち1社からキャンセルの連絡なし!

鄭州空港から市街までのアクセスなど考慮すると、北京から新幹線のほうがいいのかも(高価だが)

 

■便の時間変更

上海鄭州便も2時間遅れの時間変更があり別便に変更した。

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3.ホテル

CTrip(携程)Booking.com28室予約し、パスポート提示で宿泊できた。

大部分の部屋は、、宿泊当日夜7時までキャンセル可能で現地払いの部屋とした。

当然前払い、キャンセル条件付きのほうが宿泊料は安く、部屋の選択範囲が広いがリスクある。

■外国人の泊まれないホテルがあるので注意。外国人は止まれなくても予約できてしまう。

VISAなど国際クレジットカード使用可能と表示されていても河南では従業員が端末操作できないケースあり、現金予備(宿泊費の2倍の保証金)必須。

■河南ではホテル従業員がビザなし渡航を知らないかったため手続に時間かかった。従業員教育不足。

境外人員臨時宿泊登記単:国外から入国するたびに入国後24時間以内に届け出をする必要がある。ホテル宿泊の場合は、原則としてホテルが登録手続きを代行。多分日本人宿泊客が少ないのだろう。

 

4.新幹線

チケットは原則として中国国内で購入。外国人専用窓口はどこでもすいている。

ただし予約状況みていて満席になりそうならCTrip/携程などで予約したほうがいい。予約したチケットは、中国国内の駅又は代销点で購入するか、中国国内の宅配で受領。駅以外は手数料必要。パスポートのコピーがあれば他人の分も購入可能

乗車方法 込み合う駅では最悪発車2時間前くらいから、外人窓口なら最短30分発車前に駅で切符購入など手続き可能

①切符を買う まずCTrip/携程などで空席を確認。售票口に並んで、パスポートを出して買う。外国人は自動販売機では買えない。外国人窓口がすいている。

②駅前広場にある駅入り口(进站口)に並び、キップと本人パスポートチェック(コピーはだめ)

③安全検査 内陸部は厳しい。飲み物取り上げられた人も。

④広大な待合室(候车室)で待つ。列車出発時刻15分前くらいにプラットフォームへの扉が開く。

この扉は発車2分前には閉まる。ぎりぎり乗車はできない。

 待合室P_20170512_180752.jpg

■中国の新幹線は、日本と同じく従来線並行で純粋な新幹線駅は普通在来線駅から離れている。それなのに在来線の駅からも(本数は少ないが)新幹線に乗れる場合もある。例えば杭州東駅は新幹線専用、在来線杭州駅からも1時間に2,3本新幹線あり。

5.地下鉄

乗車方法 下記①,②逆の場合も。鄭州で1時間かかったと言う報告も。蘇州、杭州などでは5分。

①安全検査 内陸部は飛行機より厳しいところも。化粧水取り上げられた人も。

安全審査行列P_20170514_183632.jpg

②切符を買う 現金使用できる自動販売機に並んで買う。中国人も手間取る。

キップ購入行列P_20170514_182123.jpg

㋐行き先の路線を選ぶ

㋑降りる駅を選らぶ

㋒枚数を選ぶ

㋓お金をいれて(510元紙幣、10.5元コイン)、乗車カード入手。最低2元、浦東から人民広場7元、安い。

 紙幣は認識率低い。事前にコイン準備したほうがいい。

③出てきたカードをかざしてプラットホームへ

中国では公共交通機関は非常に安い。バスは空調付きで全域2元など。地方政府はよく頑張っている。ナビで探せば安くてとても便利、今回もよく利用した。

6.外貨両替

NET上では外貨両替できると書いてあっても、実際はやってないホテルがある。鄭州、洛陽などでは中国銀行の窓口でしか両替できず、しかも両替に30分も。上海では中国商工銀行でもでき、10分くらいで。

 

7.スマホ事情 ASUS PhonePad6という数年前の機種持参

中国は日本以上のスマホ大国、どこの地下鉄でもの乗客の90%くらいがスマホ使用しており通信条件に問題はない。

■事前に中国のアプリを大量にDL、役立ったのはWeChat、高徳地図、百度、中文など。WeChatは電話代わり。高徳地図には普通のナビ、キップ購入、迷い後になった時のバスさがしなどとてもお世話になった。どこの町の細かいバスも詳しくとても便利。これら無ければ旅行できない。

■中国では香港Unicom7日シム(150香港)、切れた後はChinaUnicomで10日追加手続き(100香港)。日本国内と同じ環境が実現しとても快適。

chinaunicom2.jpg

スマホ香港モードIMG_1209.jpg

■すべてのホテルでWiFi使用可能(当然Google関係,LINEなど使えないが)だったが、河南地区は不安定だった。

スマホ支払

AlipayWeChat支払いが普及。中国の銀行口座があって紐付けすれば使える。

NETでの買い物、交通機関のチケット購入、大きな店から小さな小吃店での買い物、自転車を借りるのも。自転車はWeChatなら最初2時間無料、以後1時間毎1元。私は補償金200元、140元。

次回行くときはWeChatPayを友人から分けてもらうつもり。

 8.入場料の老人優遇 日本人もパスポート提示で無料入場できるところも。

中国各地の景勝地イベント会場では、年齢70歳以上の老人は入場料免除。しかし河南ではほとんど中国人限定、清明白河園だけは外国人も無料(保険金1元)。蘇州、紹興、寧波では外国人も免除、杭州は中国人限定。地方政府の方針によるのだろう。

年寄りにはありがたいことです。

 


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中国の年金制度のメモ [中国社会事情]

中国の年金制度のお勉強。

中国は格差社会、年金も!

優遇されている年金:公務員

年金名称都市企業従業員年金公務員年金
対象者都市部の企業勤務者政府、国営企業、関連団体勤務者
負担者企業が賃金の20%
個人が賃金の8%
政府
個人負担なし
支給方式基礎年金と個人口座の積立金政府支給
支給水準退職前賃金の40%~50%退職前賃金の80%~90%
平均(/月)1900元(2013)4000元以上の人が90%以上(2013)
年度調整2016年は6.5%Up2016年は6.5%Up
備考3.2億人
賃金の28%の負担に耐えられず、
農民工は0.5憶人(20%弱)しか
加入してない。
0.7億人(退職者0.1億人)
(正確な統計はない)

 

この政府国営企業の退職者が、爆買い海外旅行の主役になっているそうだ。夫婦で1万元以上の年金あれば、住居費のいらない退職者は、若くして退職者になっていることもあり、活躍できる。

一般的な退職年齢は男性60歳、女性50歳。年期受給開始年齢は男60歳、女55歳。若くして年金生活に入れる。

 雑感:それにしても、中国は官僚と国営企業従業員を養う国。このデータから改めてそう感じる。 日本も似た状況ではあるが。

遇されている年金:農民と非就業者

年金名称新農民居民年金新都市居民年金(非就業者)
対象者農民都市居住の非就業者
負担者基礎は国
個人積立
同左
支給方式基礎年金と個人口座の積立金同左
支給水準78元(2012)都市によって異なる

430元(北京2014)+個人分

680元(上海2015)+個人分
備考4.5億人0.5億人


農民はもともと自分の土地で収穫、収入あるから年金はいらないと言う発想なのだろうか?

都市住民は、専業主婦や失業者に対しては最低保証がある。もちろん都市戸籍なければだめだが。

今の高齢層は大部分が政府、国営企業で働いていたから、年金はとてもいいのだろうが、これからはそうはいかない。中国では公務員や国営企業に殺到するが(最近の修飾応募倍率は1万倍とも。科挙の国だから!)甘くはない。日本のように見かけ上、年金、健康保険などが整った国が狙われているのもうなずける。

問題点

1.年金破たん。労働人口が減り、2050年には2人が一人を支えることになる。ひとりっこ政策を廃止したがとても間に合わない。

中国人口動向.jpg

 2.年金財政破たんのおそれ。気前よく年金増やしている。

都市企業従業員年金平均受給額の推移(単位:元/月)

都市企業年金.jpg

Memo:中国人的資源社会保障部(日本の厚労省相当)では《企业年金规定(征求意见稿)》などで、模索中。


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中国伝統文化舞台 [舞台鑑賞]

中国伝統文化の舞台を見る機会があった。

神韻芸術団(HomePageはここ) 

2017日本公演 2017/1/30 文京シビック大ホール

ホールは満席、学生から高齢者まで、中高年主体。

背景画像の前の舞台での舞踏、生オーケストラ。

演目は総計20で、見どころあるものだった。

  • 舞踊劇     7 下世正法,,
  • 中国古典舞踊 6 火焰山,古吏壮志,伞舞,
  • 民族舞踊    3 顶玩舞,脏鼓豪情,
  • 民間舞踊    1 绢花飞舞
  • 二胡演奏    1
  • 歌唱       2

HPを見ると、神話の後羿射日、嫦娥奔月などあるが、残念ながら今回の公園演目にはなかった。

参考に当日のパンフの写真(HPの動画をみたほうがいい):

赤壁

赤壁IMG_0141.jpg

舞踏

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民族舞踊 顶玩舞

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舞踊の中で、「真善耐」 「大法」、「1999年弾圧」などが語られ、何のことかと、神韻のHPをよく見てみると、舞踏練習するNYの飛天学院では法輪功を取り入れた練習をしている、中国本土では公演不可などと記載あり。

舞踏はすばらしい。養眼のひとときであった。


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武州寄居七福神 [散歩]

今年年始の七福神めぐりは、遠出して武州寄居をまわった。ここの特徴はいずれの七福神も巨大であること。

 東急-東京メトロ-東武で横浜-森林公園-小川町-寄居、2時間半。乗り換え2回で到着。便利。

  車中暇に任せNETで七福神の由来と各神の持ち物を見てみると、インド人3人、中国人3人, 日本人一人、男6人、女1人の混成チームでその特徴は:

  • 恵比寿:日本人、神、。  最澄が台所の紙として祭った。
  • 大黒天:インド由来、ヒンドゥー教
  • 弁財天サラスバティ:インド由来の女性、ヒンドゥー教琵琶
  • 毘沙門天:インド由来、ヒンドゥー教、守護神、甲冑
  • 寿:中国、道教団扇と桃
  • 福碌寿:中国、道教
  • 布袋:中国、道教、布袋(生活用品)

七福神をめぐり歩く人がいっぱいいると思い勇んで寄居駅駅員さんに様子聞いたが、知らなかった。代わりに十二支守り本尊まいりという短いコースと、観光案内所を紹介してくれた。焦って駅近くの観光案内所で地図をもらう。どうも車で回るコースらしく、徒歩でというと絶句。この地図では近場に見えるが、所要時間もはっきりしない。

武州寄居七福神panf_s.png

案内所には見慣れぬものあり、化物のように大きいゆず、鬼ゆずとか獅子ゆずというらしい。

鬼ゆず獅子ゆずsisiyu_2.jpg

夕方まで5時間強あるから大丈夫だろうとたかくくって歩き始め。

上記略図では距離感がない。帰ってから地図で調べるとこんなコースだった。どうも20km以上のコース、たびたび迷い、出会った方々の親切なアドバイスでなんとか。ただし歩いていると言うと絶句。徒歩での必要時間聞いてもはっきりしない。完全に車社会、歩く人などいないようだ。七福神ののぼりは寺周辺だけ、それ以外標識無。バス路線もなし。タクシーも走ってない。

武州寄居七福神Map.jpg

  • 横浜 8:40発
  • ① 寄居 11:00発
  • ② 蓮光寺 12:00着 昼飯。迷いながら歩く。
  • ③ 極楽寺 13:30着 秩父鉄道の線路を歩けば、荒川簡単に荒川越えられるのに 鉢形城址をみながら。
  • ④ 常光寺 14:30着 常光寺でお茶、ご住職のお話をきく。農免道路経由。途中休む場所もなく。
  • ⑤ 長昌寺 17:00着 夕やみ迫る。闇夜の中を歩く。道聞きながら。
  • ⑥ 常楽寺  17:40着 真っ暗
  • ⑦ 男衾駅 18:10着
  • 横浜 20:15着

まずは蓮光寺から。広々した関東平野。八高線にのれば便利だが、電車本数が少ないと聞いて歩くことに。寄居から田畑の中を、八高線沿いに1時間弱。 途上寺が多い。ふう。

蓮光寺遠景IMG_9892.jpg

 布袋尊と福禄寿。確かにこれまで見た七福神に比べ大きく、金色に輝いている。境内のテントの中で陽にあたりながらゆったり。

連光寺福禄寿布袋尊IMG_9894.jpg

連光寺紹介:

蓮光寺IMG_9899.jpg

ここから寄居駅に戻り、極楽寺へ。毘沙門天。

 毘沙門天極楽寺IMG_9907.jpg

 唯一の女性、弁財天。

弁財天極楽寺IMG_9905.jpg

常光寺紹介:

極楽寺IMG_9910.jpg

常光寺の入り口。極楽寺への行き方を聞く。どうも荒川が邪魔しているようだ。

 極楽寺前景IMG_9915.jpg

秩父鉄道沿いに歩く。先に見えるのは荒川をまたぐ鉄橋。この鉄橋を渡れれば定光寺は近いのだが。付近の人の話では電車はあまり走っていないのだが、さすがにこの橋を渡るのは!

秩父鉄道IMG_9903.jpg

やむを得ず迂回して荒川を渡る。荒川IMG_9917.jpg

鉢形城公園を通って常光寺大黒天。

大黒天常光寺IMG_9922.jpg

境内でお茶(ドクダミ茶)をいただき、住職のお話を聞く。サンスクリット語の碑の講釈、境内の石臼の説明、七福神の経緯など。

常光寺真言IMG_9924.jpg

これは真言の”大日如来よ、光明を放ち給え!”。斜めに読むのが面白い(下記と比較)。

真言光明komyo-mantra_5555法楽時.jpg

 境内に敷き詰めてあるのは、水車小屋で使っていた石臼とのこと。

常光寺IMG_9926.jpg

その昔、全部の寺でお茶を出していたが、お茶に異物を入れる事件が発生し、寺人がいないときにはお茶を出さないことになったらしい。今回はここだけ。

またこの周辺の道が舗装され野趣が無くなり、ハイキングする人が激減してしまったとのこと。以前は小川町からのハイキングなどにぎわっていたらしい。

常光寺を後にして農免道路を歩く。

寄居田畑風景2015010411.jpg

 この辺りひろびろ。気持ちはいいが、休憩する場所もなく、もちろんバス、タクシーもなく、ひたすら歩く。広大な運動公園、東京オリンピックではブータンの事前キャンプ地に内定したらしい。

農免道路にはこんなものも。薄暗くなっていたが照明、標識などなく、危ない。ぶつけた後がいっぱい。むやみに車が入らないようにするためか。むつかしい!

農免道路IMG_9932.jpg

 ようやく長昌寺、夕闇が迫ってくる!寿老尊。

長昌寺寿老尊IMG_9936.jpg

長昌寺IMG_9933.jpg

いよいよ真っ暗に。急速に寒く、冷たくなって手袋、首巻などするが、手はかじかみ...。道はわからず、聞く人影もなく、やむを得ずようやくであった車の人に。その後、幸いなことにジョッギングしている人に出会い、常楽寺への道を聞きだせた。

常楽寺恵比寿I1000MG_9955.jpg

恵比寿尊、鯛(向かって右側の赤い部分)をだかえているのをフラッシュで確認。

 恵比寿IMG_9938.jpg

日の短い冬にはこのルートは厳しい。平地ばかりなので疲れは感じないが、寒さに負けそう。真夏は真夏で灼熱の太陽でたまらないだろう。やはり花のきれいな春、気持ちいい秋にぶらつきたいもの。

ところでここ寄居には寺が多い。調べてみると43寺あるらしい。ここだけが異常なのか調べてみる。寺の数は埼玉は多いほうでもない。寺はコンビニより多いと言う。寺総数は全国で77,000寺。確かにここでも寺はよく見かけるが、コンビニはそんなにないような印象。

県寺数town20160216temple01.jpg

寺密度を見ると埼玉県は10万人当たり31.2寺で全国平均60.9を下回り、関東では平均的。それに対し寄居町の寺数は43、人口31、000人。10万人当たりの寺密度は126になり、埼玉県の平均31.2を大幅に上回る。なぜか?何か歴史があるのだろう。


県寺密度town20160216temple00.jpg

■歩行4万歩弱のコースでした。NETによると小川町から寄居までの40kmウォーキングコースもあるらしい。そのうち試してみたいもの。


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大山寺もみじ もう少し [散歩]

大山、大山中社から大山寺 紅葉黄金葉の偵察

大山から見ると富士は雲海の中に聳えている。

FujiUnkaiIMG_9477.jpg

丹沢周辺の雲海も見事

OyamaUnkaiIMG_9482.jpg

中社まで降りると神社の紅葉は見頃。

OyamaNkashaIMG_9502.jpg

大山寺は?

ライトアップの準備で大わらわ

OyamaderaLightupPrepIMG_9529.jpg

あと一週間か

高度差は大したことないのに、麓だから遅いのだろう。

OyamaderaIMG_9533.jpg

山麓の日向薬師は完成まじか

HinataIMG_9554.jpg

11/20 日曜日に落慶法要らしい。これからにぎわうのだろう。

今のうちに宝物院をみておこう。

薬師如来・脇侍:日光菩薩・月光菩薩 素朴だ。

 Yakushi9a97867825501943aae524a9f6af00b4.jpg

日光菩薩、月光菩薩(高さ123cm、木彫りとある)をまじかに見ると、 片足を前にだし、腰を薬師菩薩側にずらしている。

薬師寺のもの(高さ315cm、鋳物)ではもっと鮮明だ。 この形は三曲法というらしい。

このサイトには次のように書かれている

三曲法(さんきょくほう)とは菩薩像などが首と腰をひねることにより、頭部、上半身、下半身がそれぞれ異なった角度に表現されることをいいます。

インド美術のトリバンガに由来し、その作例は二世紀あるいはその以前からみられます。

また、中国では七世紀後半から八世紀前半ごろに流行し、日本でも法隆寺金堂壁画の菩薩像などに作例がみられます。

 Yakushiji0606-16.jpg

紅葉からずれてしまった。

 


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梅雨の合間の塔の岳 [山あるき]

久しぶりに晴れるとの天気予報に、塔の岳に行ってみた。

10時近くのふもとは梅雨空だったが、頂上は快晴。

久しぶりに歩くと、強烈な夏の日差しに思わず目もくらむ。これならむしろ曇りのほうがいいのに?!

TNTShandianIMG_8477.jpg

しかし富士は雲海に浮かんでいた。

TNTFujiIMG_8469.jpg

 強烈な日差しの中、ひんやりした風がさわやか。

山頂でゆっくりしながらぼっとしていると、明日は七夕という話。短冊に何を?年寄りはやはり健康! 残念ながら七夕にはそぐわない。

もともと七夕は中国古代の乞巧奠qi1qiao1dian4(針ごとがうまくなるよう願う行事。奠:祭る)から始まったと言われている。中国では現在、七夕節と呼ばれ旧暦7月7日(2016年8月9日)。中国には短冊に願い事を書く風習はなく(宗派によってはあるらしいが)、現在は愛情節、情人節ともよばれ、日本のバレンタインデー(ただし送物は男から女)類似の騒ぎとなっているらしい。

願い事を書くと言えば絵馬がある。Wikiによれば崇徳天皇の時代、神事に馬を寄進する風習があったが、馬を献上できない場合(仏閣が管理できなくてうけとらない)、紙、木材、土に馬の絵をかいて奉納(もちろん金品も)、次第に絵馬に落ち着いたと言う。いまでは金品に目録だが。絵馬は日本だけの風習か。

日本の願い事を紙や木に書くと言うのはいかにもロマンティック。NET上にはこんな記事。中国人が靖国神社で絵馬に書かれた願い事に驚く。こんなにも政治的な場所なのに、大部分は世界中の若者に共通するこんな願い。願い事を率直に書いて公開するのは日本人だけかも。字がいい。在木板上写上愿望后挂起来。

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山頂も夏花満開。野ばら

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うつぎ

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シモツケ

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葉の緑が目に痛い

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梅雨の時期人が少なくて、ゆったり。久しぶりの保養だった。


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