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令和の根拠と言われる万葉集と中国古典帰田賦の原文


令和の根拠と言われる万葉集と中国古典帰田賦の原文(いずれもWiki)


梅花歌卅二首[并序]  作7-8世紀 780年万葉集

天平二年正月十三日 萃于老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇 古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠

 

 138年(東漢) 張衡作 文選(6世紀六朝梁 昭明太子編纂)

都邑以永久,无明略以;徒川以羡河清乎未期。感蔡子之慷慨,从唐生以决疑天道之微昧,追父以同嬉;超埃遐逝,与世事乎

于是仲春令月和气清。原隰郁茂,百草滋荣。王雎鼓翼鸧鹒;交颉颃,关关嘤嘤。于焉逍遥,聊以

吟方,虎山丘。仰纤缴,俯钓长流;触矢而贪饵;落云逸禽渊沉之魦

曜灵俄景,系以望舒。极般游之至日夕而忘劬。感老氏之遗诫,将回乎蓬五弦之妙指,咏周孔之图书翰墨以三皇之。苟心于物外,安知荣辱之所如

万葉集のは貴族の宴会の歌で、文選のはいつまでも引退を許されなかった有能忠実な高官がようやく解放されたことを喜んでうたった賦という違いはあるが、旧暦2月(西暦の4月ころ)の春めいた景色をうたった一節が似ている。

ちなみにこの「帰田賦」は現在の小学校教科書にあり、中国の若者はすべて暗誦しているそうである。だからすぐ中国のネットで話題になったそうである。

 万葉集のこの歌の作者は、山上憶良(660?-733?)という推定もある。彼の先代は百済人(令和の発案提言者と言われる中西進博士の説)とも言われており、遣唐使として中国に派遣されたこともある知識人。当然この唐代知識人必須の文選をマスターしいわゆる唐詩詞を詠み、その流れで和歌を作っていたのであろう。
国文学者の中西進博士は当然これらのことを承知の上で、安倍政権が国書重視ということで根拠を万葉集にしたほうが採用可能性高いとみたのかもしれぬ。
万葉の時代、その後もそうだが漢字を使う限り歴史ある漢字文化から逃れられないのは当然、逆に明治以降は十分恩返ししてきた。
令和、
まずはじめに 命令、法令、令状など抑圧的なものを思い浮かべる人もいたのではなかろうか?
これは社民党党首の談話にあった。和令なら令に和せ、いや仲良くせよという「きまり」になるのかな?
日本語辞書では[令]にいい季節のような用例は見当たらない。
①れい
 言いつける
 掟
 長官
 よい、立派 巧言令色
 相手の親族に対する敬称 令嬢、令室、令息
②りょう

 言いつけ

 おきて


中国語辞書では

 2声 令狐

 3声  印刷用紙の数量単位

 4声 命令、命じる

    季節 

   [文章語]よい、親族関係者への敬称

    詩や曲の曲名の一つ

 

それにしても、それ以外の年号候補

「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」

年号にこんなものしか推挙できないものか?当て馬か?


中国では昨年10月21日に「令和」が日本酒類名として河北省の商標会社から商標登録されていると報道されている。日本では登録できないようだが中国にはこの名前の日本酒類は輸出できないらしい。世界中どこにも商標登録されていない名前を探すというのも大変なこと、意味ある仕事なのだろうか?

日本のほかには台湾が年号使っているが、日本のように天皇に対応するものではないにしてもどのように扱うのだろうか?


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