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梁晓声 千年の病竈  中国人の奴性はどのように形成されたか? [中国語学習]

千年の病竈 中国人の奴性はどのように形成されたか?

出典:梁晓声 千年病灶:中国人的奴性是怎么形成的?」人民網

http://history.people.com.cn/GB/205396/17320585.html

    これは「中国人の人性与人生」現代出版社、2017.1などにも掲載。

中国人は意外にも今に至るも「奴性」にこだわりがあるようだ。

乱暴にこの文章を要約すると次のようになる。

①中国人の奴性は漢民族が宋代に金に征服され、その後元(モンゴル族)、清(満族)征服されたため形成された。

②その後抗日戦争で劣性を捨て去った。

③しかし最近の2,3億の農民出稼ぎは一人っ子で甘やかされ劣性階層を形成。

 中国漢民族はほかの民族に征服されても、結局はそれら民族を吸収同化してしまった。しかしその過程で「奴性」を手にした。そののち、日本は中国を侵略したが、漢族を征服できないどころか、彼らに奴性を捨てさせる契機となった。

奴性を捨てるのに太平洋戦争が大きな役割を果たしたこと、今も中国で「奴性」があると言う主張が新鮮で、この文章を訳してみた。メモとして残しておく。

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「国民劣根性」問題は、「五四」知識分子がまず提起した。これについて誰もが魯迅を思い出す。実際は魯迅だけではなく当時知識人すべてが注目していた。どうにもならないと嘆息する人あり、心を痛める人あり、心こめて啓蒙する人もいたが、魯迅はその不幸を悲しみ、闘わないのを怒った。梁啓超は魯迅以上に「国民劣根性」を糾弾した。陳独秀は「新青年」創刊早々激論を発表した:1919年以前に生まれた者は死ね、1919年以降生まれたものだけが生きるべきだ!どこからこんな言葉がでたのか?国民劣根性に焦点を当てたのだ。彼の言わんとするのは当然肉体のことではなく思想、精神のことだ。蔡元培、胡適も国民劣根性の存在を否定していない。彼らは寛容な君子型知識人であり、同胞を厳しく糾弾するに堪えなくて、思想の啓蒙で直せる、教育で救国、強国をめざし優秀な新しい国民の種を育てた。蔡元培は北京大学学長就任演説で次のような希望を表明した:自由な精神と独立思想を持った新しい国民を養成するという彼の教育思想が彼の本来の願望を表している。

聞一多も国民劣根性について考えている。しかし矛盾があった。友人の海外で優生学を学んでいた友人の潘光旦が聞に手紙で、中国人が優生意識に欠けていると書いたところ、聞一多は返信で「お前が西洋理論で中国人の種族上の劣勢を証明したら、ピストルを手に入れる方法を考える。お前が帰ったらこの手で殺す」。

しかしながら、彼は「よどみ」という詩を書いている。

 絶望的なよどみ

清らかな風でもさざなみがたたない。

捨てられた屑同屑鉄のほうがいい、

いっそお前の残飯や食べ残しの菓子をぶちこもう。

もしかしたら銅は翡翠になり、

鉄の缶のさびは桃の花びらに。

よどみの油被膜で絹織物を編もう、

ばい菌が雲や霞をわかせている

 このような詩は明らかに国情や国民の劣根性を詩としたものである。聞一多は外国から上海に帰るや、時をおかず五・三〇事件が起こり彼は怒り悲しんで「発現」を発表した。

私は来た、私は叫んだ、血と涙に飛び込み「これはわが中国ではない」違う、違う。

なぜ彼は違うと思ったのか?海外滞在時に得た見識から、その時の中国国民が活気ないと強く感じたのだろう。違うと言うのは国家のイメージと国民の活気ない精神状態を受け入れられないと言うことだ。
 当時中国人は、外国人に東アジアの病人とバカにされ、自分たちをアジアの眠れる獅子に喩えていた。獅子は元来獰猛だが、当時我々は麻酔を打たれ、永遠に眠って、怠け猫の類だった。

 清末以前、中国の思想家は国民性について論じているが、その劣性について論じても、それは人類の普遍的な弱さ、劣性についてであって、決して中国人固有のものとは考えていない。

だから、私たちはここで第一の問題、ある種の劣性は中国人だけの先天的で固有なものかという問題に触れる。

私の答はノーである。
 人類は駿馬や良犬のように優勢交配繁殖できない。いくつかの人間性の欠点や弱点は人類普遍で固有なものだ。そしていくつかの劣性は人類だけのもので動物にはない、例えば貪婪、恩義に背くこと、陥れること、虚栄や偽善など。だから人類普遍の弱点、欠点、劣る点についてことさら中国人を批判してはならない。ただ歴史、文化のちがいで、その国の人に広くある種の劣性を生成することはできる。例えば西洋の欧米アメリカは資本主義の継続期間が長く、ある種の列強劣性がある。そのうち最も劣悪なのは奴隷販売、種族への偏見である。

 当然これは彼らの歴史である。

 第二の問題、中国人の「かつて」の劣根性の主なものは何か?「かつて」ということを強調するのは、現在の中国と五四以前とは大きく異なり同日には話せないからである

当時民族の「劣根性」の主なのは奴性(主人の目を盗んで怠ける)で、「五四」知識分子が絶望したのは奴性である。奴性はどのように形成されたか?中国の歴史をさかのぼる必要がある。

かつて唐代中国人の劣根性を批判した人はいない、中国の古い書籍にも記載がない。唐詩は豪快、ロマンティック、格調高い、これが私たちの唐人の国民性形成するのに大きな影響を与えている。唐詩の上述のような特徴は宋代早期の詩詞、蘇軾、欧陽脩、範仲淹に受け継がれている。

しかし宋中期になると、宋詞には頽廃、無聊、言葉のあそびのような自己憐憫などが現れ始めた。傷心涙、相思情、莫名苦、などの言葉が宋詞に頻繁に出でてくる。今日の文学愛好者で詩詞が好きな人の中で、男性は唐詩を好み、女性は宋詞を好む。唐詩は男性の心をつかみ、女性は宋詞の少女趣味を好む。

唐詩の性格が宋後期になぜこのように変わったのだろう?

北宋はしばらくして金に滅ぼされた。いま宋詞三百首を開くと、第一首は宋徽宗の「宴山亭」:

 白絹を裁断し、軽く折りたたむ、淡い口紅をむらなく塗り、

流行のきれいな服、あでやかで美しい色彩にさわやかな香りに溶け込み、

天上の蕊珠も恥ずかしくなるほど。

容色衰え、無情の風雨を経験し、悲しい情景にあい、寂しい庭を訪ね、

また何回かの春暮を経なければならぬ。

そのつがいの燕には世間の苦しみはどうしてわかろう。

天は遥か地は遠く、幾千幾満の河や山に阻まれているのだろう、

昔の園は今どこかわかるわけがない。

夢の中で行ったことはあるが、その夢さえ見れない、

つらい夜寝れないのだから。

宋徽宗が見た夢はどれも大宋王宮に帰りたいと言う夢で、哀れにも囚われの地で亡くなった。

「人の世はたえず移り変わり、今はやがて昔になり、未来はやがて今となる。(子登-孟浩然)朝廷繁栄と交代は、歴史のなかでは常にあることだ。しかし王朝が全く異なる文化に滅ぼされるというのは別なことだ。北宋は完全に滅亡したわけではなく、一部の臣は長江以南に逃げ「南宋」歴史上では「小朝廷」をたてた。「大宋」から小へそしかろうじての存在、これは南宋人の心の痛みにならざるを得なかった。ナポレオンが英国の島で囚われの身で亡くなり、当時のフランス人は心を痛めた。このようなことはどこの国でも傷となり恥である。

よってこの時期の宋詞は豪放にはなりえなく、悲しい句しかない。南宋の士から庶民に至るまで間違いなく憂慮すべき状態、南宋はいつ滅ぶか?という事態だった。人々に全く安心感がないのにどうして豪快に、ロマンチックになれようか。当時李清照は歌っている「今になって項羽のことを思う、江東を越えるのは気乗りしない」

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その後果たして南宋も滅亡した、この時滅亡させたのは元で、元は都を大都に作った。

元朝統治下の人々は4等に分けられた、第一等は当然蒙古人、第二等は色目人(西北少数民族)、第三等は「漢人」金統治下の長城以北に長く住んでいた漢人、第四党は「南人」南宋滅亡以降統治していた漢人。

更に元朝は科挙を廃止した。これにより前の王朝時代に官僚階級についていた人々の望みが消えた。仕官こそが古代知識人のもとめるものであることは周知のとおりである。同時に「駆口制」を実施した。これは南宋捕虜とその一族を元官吏の奴隷と規定し、売買可能、贈り物可能、殺してもいいとした。さらに「匠制」を実行し、数百万の職人を「匠」とし技工の職人奴隷とした。南宋の官吏については「誅捕法」を実行し捉まえては殺したので、彼らは山奥に逃亡し、名前を隠した。南宋の知識人は恐れおののき、「誅捕」に遭い、遁世するしかなかった。

漢族の詩性は完全になくなった、奴隷になりたくなくてもならざるを得なかった。集団的奴隷根性はここから始まった。

 枯れた藤が木にまとわりつき、枝には夕暮れに巣にカエル烏が住んでいる。

小さい橋の下には水がさらさら流れ、傍らに何軒かの家がある。

古めかしく荒れた道には、秋風がざわざわ、

渭匹の疲れ痩せさらばえた馬が前を行く。

夕日がゆっくり西に落ちていき、憂いと悲しみに満ちた旅人がはるかにさまよう。

 今馬致遠のこの詩を読むと、詩人が表現しているのは単に旅人の望郷の念と考えてしまうが、それでは彼の当時の心の中の悲しみをまったく理解していないのだ。

 当時巷ではこう詠われていた。

中華という、中華と申す、中華はいいところ、

元の皇帝が来て以来、十年間のうち九年間は荒廃。

 元朝享国92年以後明朝。明朝は平定から中興、滅亡という普通の経過をたどった。「初期の平定」は「専制」で、専制以外では初期平定はできないものだ。明朝の大興「文字獄」では、たとえ一編の詩でさえ目障りとみなされれば、一族郎党処刑された。270年後明朝は腐敗のため滅びた。

  次に清朝が起こり中国を276年統治した。

世界でこのような経過をたどった国は多くない、このような経過をたどればその国の人に根深い奴隷根性を植え付けると私は思う。奴隷根性たっぷりなら生き延びられる、所謂なるに任せれば生き延び逆らえば死ぬ。これが長くなると、奴隷根性が性格になる。嗣同が死をも惜しまずその奴隷根性を揺さぶったが、山を動かすのは簡単でも、奴隷根性を変えるのは難しい。

 魯迅はこの難点を悲しみ怒り、鬱々として「薬」を発表した。

それゆえ清朝が倒れると知識人はこぞって「国民劣根性」を批判した、彼らの見方は正しく、国民劣根性に対する処方は正しかったが、あるものは優しすぎ、あるものは激烈であった。

こうも言えるだろう。想像を絶する艱難辛苦と感動に値する八年の抗戦と国民劣根性に対する批判とには一定限の関係がある。この批判は疑いなく中国人の霊魂を痛めつけたが、この痛みの後、奴性を捨て去る勇気となった。

要約すると、今日の中国人は、決して梁啓超、魯迅がその当時あふれていた奴性が身についた、ぼんやりして無感覚な中国人ではない。我が中国人の国民性には、これまでにない変化があった。「国民」はただの「民」ではない。現在中国人全般に権利の保護意識が高まっている。一般的な概念の「民」は「公民」に転化している。民は官に発言する、民は役人、高官、政府に発言する、以前は言えなく発信しなかった。「楊三姉妹告発状」で告発したのは官、官庁役所だ。しかし今、これまで平民とみなされていた低階層の人や農民が官や政府を告発するのは当たり前で、奴性は明らかに中国人の過去の烙印となった。

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しかし、考えなくてはいけない現象がある、それは近年来の青年労働者の飛び降り事件である。彼らの多くは農家の子女である。父母よりも理性あるべき子女が死を選ぶなんて、親たちはあきらめきれない境地だ。彼らは親よりずっと脆弱なのだ。これは彼らが農家の子女であるのに実は小さいころから甘やかされたからだ。一人っ子たる彼らは町の一人っ子と同じように「宝」なのだ。だから以前の農家の子女に比べ、それほど農作業したことがない。彼らの投身自殺は「あまやかす」の別な表れと言えるかもしれない。さらにもう一点、もしも彼らが単調単純な環境秩序の中にいて、その秩序が脆弱な彼らの心に受け入れられ、また綿密な人間的な配慮がなければ、彼らは或いは徐々に秩序にあわせようとし、秩序を変えようという主体的意識もなく、奴性に似た秩序のもと無感覚になるか、それとも死をもってすべてを解決というような極端に走る。

2,3億もの多くの出稼ぎする農家子女を、発信力と理性、個人の利益意識そして集団の利益意識を持たせ、必要なときに権利意識を主張できうまく正当な行動ができる青年公民とするのは、全社会の責任だがその道は遠い。

  ネットが普及してから、中国人の社会的な事件への参加意識は限りなく大きくなってきた。特に公平、道義、社会的同情について中国人のこの方面へのかかわり方は情熱にあふれ、絶対に他国に引けを取るものではない。しかしネット上にはふざけた話がとても多い。

 これはユーモアと考えることもできる。ある種のことに対してはユーモアは確かにはっきりした立場を、時には芸術的な表現。しかしユーモア意外にからかう、どう行ったらいいかわからない。
 私個人はネットは公衆が公民社会の要求と意見の場であり、昔の農村の会議を開く場所でもあり娯楽の場でもあった郷場よりいい。会議開催が滑稽であるなら厳粛なことも娯楽になり、徐々に郷場の存在意義も単位娯楽場所に代わった。

  皆さん、時間は分母で、歴史は分子であることを強調させてほしい。現在からの時間が離れれば離れるほど、歴史の現実に対する影響が遠のき、ついには歴史は現在に対する影響がなくなり、単なる記事となる。そうなると人類の歴史に対する要求は、間違いのない正しい単なる真実で、公正な認識価値でしかない。逆に歴史を分母とするなら、人類は歴史から逃れられず、歴史の重荷を背負い、歴史の奴隷になるだろう。

 中国は多民族国家である。抗日戦争で、漢民族は試練を受け、漢民族をして生まれ変わらせただけではなく、漢民族と、満、回、朝、ウイグル等の民族との関係も試練を受け生まれ変わった。このように言えるだろう、各民族は空前絶後の団結をした。古代の歴史は漢民族をあのように、漢民族と他の民族との関係もあのようにした。近代の歴史では、漢民族、漢民族と他の民族との関係をこのようにした。

現実に影響するのは現在に最も近い歴史だ。

中国の現在に最も近いのは中国近代の悲惨な歴史で、それは中国人に深々とある種の歴史的な烙印を押した、とても敏感で強烈な民族主義という言葉でよく表されるものだ。当代の中国人の「国民性」を読み解くにはまさにここを出発点とすべきで、魯迅らのあの時代に総括した特性によってはならない。



注) 文中の投身自殺事件

自2010年1月23日富士康员工第一跳起至2010年11月5日,富士康已发生14起跳楼事件,引起社会各界乃至全球的关注。

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