北京旅行 4 邯鄲から安陽 日本侵略の怨念 [旅行]
2018/10/14 北京から邯鄲、安陽
高鉄で北京から邯鄲、叢台と黄梁を見たのち、タクシーで安陽文字博物館
北京を離れたら広大な小麦畑、周りに工場は見当たらないにもかかわらず相変わらず大気汚染。
隣席の中国人は小麦灌漑水が蒸発するのだと言っていたが?
ほかのところでは戦争は歴史だと言って感情的になることはなかったのに、今日はこれまでにない反日感情に遭遇。。
高鉄の中で、あるいは邯鄲で出会った複数の方々から、日本は侵略、軍国主義復活けしからぬという激しい叱責を受ける。ほかの地域にはない特殊性があるのかとこの地区の戦時記録をひも解くと、この地区の戦争被害は甚大。
1937/7/11 日中戦争開始:盧溝橋事件 8/9上海事変
1937/10/10 石家庄占領
1937/12/27 山東省済南占領
1938/3/28 河南傀儡政権
1938/4/7 徐州会戦開始
1938/6/9 黄河決壊
(蔣介石が黄河堤防爆破し日本軍の武漢侵攻作戦阻止をもくろんだ。目標未達、災害誘発)
破壊後の大雨で決壊した花園口からの水で琵琶湖以上の面積(河南、山東、江蘇、安徽)が水没、
上海近くの長江に合流(下図は百度百科)。
ある洪水被害統計:死亡者89万人、家を失った人1200万人。
1942年から1943年にかけて河南省では水旱蝗湯が追い打ちかける
(氾濫による水害、水が来なくなった地域では干ばつ、イナゴ、湯氏過酷徴税)
飢饉被害:ある統計では河南省東部当時の人口678万人に対し、
他省などへの難民120万人、死亡者32万人
1944/4-1945/1 大陸一号作戦(中国では豫湘桂会戦)
この河南地区、特に河南南部では侵略戦争関連被害甚大。
日本軍による侵略がなければ、蒋介石による黄河決壊はなく、このような災害はなかったであろう(出典:新潟大学アジア研究2015)。
堤防は1947年に復旧し、黄河の流れはようやく元に戻った。
なおこの研究では日中戦争期間中国人口3億6千万人中9千万人が難民になったとしている。
邯鄲は中国で唯一古代から名前の変わらなかった街だそうだ。
叢台主人公の武霊王は戦国時代の趙王
叢台公園
この後は邯鄲の夢で有名な
これは唐代の沈既済「枕中記」
主人公の盧生が、邯鄲で、道士・呂翁に出会い、枕を授けられる。その枕で眠りについたところが、まだ黍の飯が炊き上がる前に、自分が立身出世を果たし、栄達の限りを尽くして死ぬまでの間の出来事を夢みた。それによって、盧生は人生の儚さを悟った。
仙境
内部の壁画
次は安陽 文字博物館。見ごたえある。必見。
今日は内容盛りだくさんで、疲れ果てた。
コメント 0