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医師の社会的地位 梁暁声 TVドラマを見て [中国語学習]

最近YouTubeで中国のTVドラマ2本見た。長いのではまらないように!

2本共に靳东主演の病院を舞台にした医師のドラマ

テーマは医療道徳、大災害(SARS,水害)時対応など

狭い領域の話題なので、中国語学習者の負担が少ない。

的距

 

演,李晨担李晨潘虹李佳高鑫崔心心等人出演。40集。

该剧主要述了医工作者在现实的种种制下不懈追求职业理想、克服不解与偏的故事。201310月山视频道,卫视播。サーズ。

外科

 

鸿制片,李雪执导,朱朱编剧白百何李佳航刘奕君何杜娟等人主演的都市医励志电视剧44集。

该剧讲述了在代化合性的仁合医院,由一起29年前生的事故所引的故事[3] 

该剧20174月在北京卫视、浙江卫视。水害。

 このドラマはともに大都市先端病院の物語だが、農民と都市住民の医療格差、保険事情、受診手続き、先端医療など、中国特有の構造が垣間見える。

最近立て続けに読んだ梁暁声の本を見てみたところ、医者の社会的地位に関する小文があった。そこで、これを訳してみた。中国らしい人間関係「社団」が興味深い。

この人間関係は社会システムの欠点を補うもので清濁併せ持つとしている。中国よりシステムが整備された日本では、個人孤立の弊害が目立ってきている。

 

 梁晓声 2017中国人的人性与人生」「医生的位置」 P108-111

 

あなたの最も尊敬する「10種類の人」という民意調査があった。職業別順位調査である。

 しかし私には職業で尊敬できる、できないを分ける基準がない。その理由は、尊敬できる人がすべて尊敬できる職業についているわけではないし、尊敬できる職業についている人の中には尊敬できない、あるいは好ましくない人もいる。もし尊敬を重要に読み替えれば次の序列になる。

  一 農民、二 政治家、三 科学者、四 医者、五 教育者

 医者の社会的地位は、現在ますます高くなっている。勿論国内外を問わずだが。第四位から前におくことも、科学者の前に置くことも、甚だしきは政治家の前にさえ、そうしても政治家はきっとそんなに不満はないだろう。人は生きているので、飯を食わねばならないし、出来るだけ病気になりたくない、特にガンのような生命に危険の及ぶ病気になりたくない。しかし現在病気になる人は多く、がんになる人も多い。一旦癌になったら神のような医者でも手だてが無い。しかしそれでも差はある、発見が早いか遅いか、治療が間にあるか間に合わないか、手術の効果---いい医者いい病院なら永らえることもできるが、そうでなければ三ヶ月、半年でお陀仏。

 現在一種の社会現象として「社団」が多くなった、校友会、戦友会、なに会、なになに会だ。何人かが何かの縁で一緒になると、急いで渡りをつけ団体を作る。少なくとも集まった内のこの数人とあの数人が、ある部分と別な部分の人たちがというように。旅行で一度ご一緒、勉強で一期ご一緒、遊びや勉強そのものより、何人かと知り合うことのほうが大きな収穫なのだ。当然人が人と知り合いになることも学問。共通の話題をもちたい人もいれば、役に立つ人と知り合いになりたい人もいる。しかし役に立つ人とは、ほとんど共通の話題はなく、役に立つ分野だけの共通話題がある。

 別な社会現象は、どんな社団、あるいはわずかな人数で作った集団でも、医者は大抵欠かせないものだ。医者は一職業にすぎないが浸透力が非常に強い、世俗から高官まで、だれもが医者と知り合いになりたいものだ。医者本人が落ち込んでいて付き合いがとても億劫であったとしても、周りの人たちが医者と知り合いになりたいという渇望を減らすことはないだろう。

 考えてもみよう、知り合い主治医のいない局長や局長相当の人がいるだろうか?内科や外科の専門医師に知り合いのいない首長がいるだろうか?庶民が運よく看護師、受付、問診医師と知り合いになり、その人たちにも誠意があればだれでも大いに喜ぶものだ。そうではないでしょうか?それは病気になったとしても病院が近づきがたい存在ではなくなったと言うことを意味する。あなたは裏口で急診受付票をもらい、医師の診断時には、多分言い含めてあって、34分で終わりというようなことはなく、細かく調べてもらえ、いい薬や、新薬、特効薬を処方してもらえる。

 もし一個の社交圏内に一人も医者がいないとしたら、社交圏と呼べるのだろうか。そんな社交圏は構成不良である。

 誰の電話帳にも、看護師、医者或いは病院勤務者の名が見やすい場所に記入してあるでしょう。

 このような関係は時には大きな財産で、親密な親戚か、昵懇な間柄、または深い同情、憐み、惻隠、慈悲などがない限り普通は誰にも教えない。

 中国人と医者との関係は、人間関係の中で最も重要なものである。一般人が局長部長に取り入って知り合いになることはない。医者となると話は別だ。

 中国人と医者の関係は、運よくそのような関係を構築できた人にとって、非常に価値ある特許のようなものだ。

 中国の最近の「社団」現象は、本質分析によると、これは激変する時代に対する憂患だ。医者はすべての人間関係の中で、最も喜ばれる、その理由は次の二点といわれる、第一に、中国人はこれまでのいかなる時代より自分の命を大事にする。これはすなわち社会が進歩したことを意味する。そうではなく、自分の命がどうでもいいと言うのは社会に対する人の責任が極端に低下していることだ。第二に、診察を受けると言うのは中国では懸案の大問題である。絶え間なく改善しているが、なお大変なことだ。特に普通の庶民にとって。

 時代の発展の恵みがすべての人に平等にいきわたらない時、発展の負の面が強烈にある部分にしわ寄せが行くとき、人は時代と距離を置こうとする。それで人と社会の仲介関係が生まれる。中国式の「社団」は中国人と今の中国の「長所を伸ばし短所を抑える」選択なのだ。受動的でもあり主体的でもある。普通の中国人は社団が生まれることで社会発展の利益を受け、発展の負の面の苦しみを弱めたいと願っている。さらに社団には小規模だがすべてそろっている、すべてがその中に包み込まれていることを願っている。ガスの交換。子供の託児、転校、病気、入院、葬祭、もろもろすべてを面倒見てくれる。私はいつも一人の主治医、一人の内科、あるいは外科、或いはその他の専門医が人間関係の輪の中でまさに名付け親のような地位にあると思っている。

 だから医者という職業は二重に重要な任務をおびている。一つは広範な人々に対する任務、もう一つは社会のある階層、あるいは人間関係内の人々に対するもの。これは医者が自分自身で自由にできるものではない。

 最近多くの大病院で専門家診察を始めている、これはとてもいい事だ。平民にも専門家に見てもらったり手術してもらう機会が生まれた。

 最近「中国高級医師案内辞典」という本を読んだ。この本が世に出たことはとてもいいことで、人民を幸せにする高徳の積み重ねである。重い病苦に悩む平民にもこの本をよりどこに探せば高級医師の治療を受けられる。これを使わない平民は、もっぱら彼らの人間関係の中で一人の高級医師、あるいは一人の専門家をさがし、「天の縁(えん)」があってはじめて実現するものなのだ。

 高級医師と医科専門家にとって同じようにいいことがある。それは彼らを「層面」範囲の任務から解放すること、彼らの高名な技術貴重な経験を真の意味で人民にささげることができる。私はこの一点は間違いなく彼らの希望にかない、十分報われるものと考える。この点と医者という一職業の人に対して平等な人道主義原則が一致する。

 そうでなければ一致しない。

 最後に、私は高級医師と医科専門家のみなさんに言いたい、一人の平民があなたの前に座った時、ぜひとも特に注意深くそして我慢強くみていただきたい。彼らは高級医師や医科専門家診察治療を受けたくても、電話で連絡するなんてできない人なのだ。彼らはもともとあなたのことは知らないのに、知り合いになりたくても、知り合いになんかなれない人だ。彼らになり代わってちょっと考えてみてください、あなたの前に座れるようになったのは、彼らはとても運が良かった、多分想像を絶するような努力が必要だったはずだ!

 よろしくお願いします。

訳者メモ

否定の強調が難しい 最後の段落の中国語

他们不是想接受一位高级医生---,就可以通过电话联系上的人。不是は可以にかかる。

 


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