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一人称変遷 中国語と日本語 その二 [中国語学習]

唐辛子を作ったが、辛すぎてとても食べきれず。

100本くらいは農薬に使ったが、残りこんなに
少しづつ料理に使っても使いきれない。配るにも辛すぎて受け取ってもらえそうもない。
何かいい利用方法はないものか?

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新聞記事にあった水耕栽培で季節はずれのレタス作ってみた。
今は元気に成長しているが、この先の厳寒に向かってどうなるのだろう。

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日本語の一人称の変遷はこんなものらしい。

平安時代以降 わたくしが使われ、戦後?主流になった。

時代第一人称
奈良時代あ,あれ,わ,わけ,われ,まろ
平安時代あ,あれ,わ,われ,なにがし,おのれ,みづから,まろ,やつがれ (源氏物語には「わたくし」「われ」が出てくる)
鎌倉時代まろ,われ,それがし,わらは,朕,愚僧,わ
室町時代わたくし,おれ,み, われ,これ,こち
江戸時代おれ,わたくし,わたし,それがし,みども,みづから,わし,こち,こちと, わたい,わちき,わつち,おいら,おら
明治以降おれ,わたくし,わたし,それがし,みども,みづから,わし,こち,こちと, わたい,わちき,わつち,おいら,おら


ところで中国語の「私」の意味はで芳しくなかった。もちろん一人称ではない。日本語の一人称「私」には同じ意味がある。

◎ 私 sī
〈名〉
穀物
(古代)姉妹の夫
男女陰部、生殖器
日常衣服

◎ 私 sī
〈形〉
私的な、
秘密の、不正な

◎ 私 sī
〈动〉
不倫する
小便する

◎ 私 sī
〈副〉
こっそり

この中国語の意味から見ると、「私」は中国語伝来ではなく、日本独自なものなのだろう。日本独自の概念い中国の階念がのっかったような気がする。

ほんとうかな?

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一人称変遷 中国語と日本語 その一 [中国語学習]

江の島のライトアップにに引き寄せられた若者たち。

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華やかな言葉が飛び交う。

日本語の一人称 私、僕、おれ、我などは中国語から来たのだろうか?

暇な時ふとそんなことが頭に浮かび、中国語の一人称の変遷を調べる。

普通語で出てくるのは「我wo3」だけ。東北弁の田舎言葉「俺an2」があるがほとんど使われないと言う。
それでは、私、僕などは古代言葉なのだろうか?

中国での一人称の変遷

最初に「我」があり、「吾」に替り、再度「吾」になったようだ。

時代一人称
甲骨、金文我、余、朕
論語、孟子我、吾、予、余
韓非子、戦国策吾、我
唐詩我(全唐詩5223)、吾(全唐詩1853)
宋 大唐三蔵取経詩話我、臣
明清我、俺
国民政府以降我、俺(ダサい)、 方言(咱 東北) 方言(俺 山东,河南) 方言(阿拉 上海) 方言(阮 福建) 方言(侬 吴语)


我と吾が主流。どこにも「私」「僕」は出てこない。

ならば「私」は中国ではどんな意味か。漢典によれば。
あまりいい意味はない。

◎ 私 sī〈名〉
穀物
(古代)姉妹の夫
男女陰部、生殖器
日常衣服

◎ 私 sī〈形〉
私的な、
秘密の、不正な

◎ 私 sī〈动〉
不倫する
小便する

◎ 私 sī〈副〉
こっそり

◎ 仆 僕 pú〈名〉
召使、奴隷
書き言葉、自分の謙遜語

私は純粋な日本語なのだろうか。

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宮が瀬散歩で「解放改革下の中国女性」を読む [山あるき]

寒くなってきたので、ゆっくり出かけ、仏果山、高取山、宮が瀬ダムを歩く。

2015/12/9
8:30横浜 9:45仏果山登山口 10:45仏果山 11:30高取山 1:45宮が瀬ダム 
2:15仏果山登山口 3:45横浜

道はよく整備されていて快適。
紅葉はもう遅いが、目を楽しませてくれる。

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高取山と宮が瀬ダムとの中間の見晴らし台が最高。

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ここの陽だまりでゆっくり本を読む。「ファミリートラブル」:横浜国大 教育人間科学部でまとめた家族観のはなし。

 そのうち、中国についての考察「解放改革下の中国女性」を読んでみた。データは古い。

欧米では60年代後半ころから、高度消費時代に移行するにつれて女性の労働力が不可欠となり、女性労働力率は75-80%になり、専業主婦が消滅し、脱「近代家族」の時代に突入。
     「近代家族」=子供中心、家族の集団性強化、社交範囲縮小

一方中国では20世紀末の女子労働率は90%であったのに、2000年には都市部で72%に低下(ただし農村では逆に増加)。都市部は近代家族に向かっているように見える。

なぜか? 社会的要請と儒教思想などに元ずく家族観。

◆労働生産性の向上により、労働力が余ったので、女性を「良妻賢母」にさせる政策。
 「女性は家庭に帰れキャンペーン」

◆従来勤務先が保育などの福祉を担っていたが、(国営)企業解体などで面倒見られなくなり、家族に押し付けられた。

◆少子化で労働年齢のひとが老人を見なければならなくなった。
 (中国の法律では、親は子供が面倒を見る義務があると言っている。中国では子供全員の責任、韓国では長男の責任)
 一人っ子政策下では1夫婦が4人の老人の面倒を見なければならない。
 国営企業などから十分な年金をもらっている都市人、スズメの涙(55元/月=1100円)の年金の農民。

そんなな中で、晩婚、結婚しない若者の大量発生は、これまでの家族観を根底からかえるもの。

この視点ではすべての矛盾が女性に向かっている。筆者はとみるとやはり女性。

重たい問題。


宮が瀬ダムを眼下にした見晴らし台で本読んでいると、近くでコゲラが忙しくつっついていた。



シジュウカラ

sijukaraIMG_6057.jpg

このサイトでは最近写真がUPLOADものすごく時間かかる。0.5MでもTIMEOUT!
Sonetメールサーバーはすぐ受け取るのに。 Sonetブログサーバーは100倍以上遅いようだ。
やむなくサイズを小さくしてUP.


  
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