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称名寺と金沢文庫 [散歩]

2015/9/12 台風一過 横浜は快適な気候。
水害の皆様には申し訳ないが、自転車で散歩。
たまたま金沢文庫で 「東の正倉院 金沢文庫」展示会あり見学。

shosoinDownsized.jpg

釈迦如来の両脇にパンフの観音菩薩と勢至菩薩がいるものらしい。
パンフの像は何も手にしてないが、展示品は何か持っている。
普通観音菩薩は、いろいろなものを手にしており、これもその一つなのかな。

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北条時宗の時代1275年、北条実時が金沢文庫を開設し蔵書を集めた。
鎌倉時代に書籍など収集したとすれば、当然中国宋時代に開発され元時代に完成した木印刷物。
(木版印刷は唐代に開発され経典用に使われていたらしい)

展示品見ると まさに宋からの伝来
 春秋集伝 左氏
 李白詩集
 蘇东坡集
 元氏長慶集  白居易の親友元稹の詩集
 白氏文集
等もあり、すばらしい。読めたらもっと素晴らしいが。

wikiによると白居易のは手書きだ:
長慶4(824)年:元稹編『白氏長慶集』50巻。
開成4(839)年:67巻本。蘇州・南禅院に奉納。金沢文庫旧蔵本の祖本。
会昌2(842)年:『白氏長慶集』50巻本以降の作品を20巻にまとめた『後集』を加え、『文集』70巻本。
会昌6(846)年:白居易没。

留学僧・恵萼が会昌4(844)年に蘇州・南禅院を訪れ、白居易直筆『白氏文集』を寺僧の協力を得て書写し、承和14(847)年に帰国して齎した。博士家(菅家)に伝えられたもの[5]を鎌倉初期・寛喜3(1231)年頃~貞永2(1233)年にかけて、豊原奉重が一部(巻22・54・63など)を自らの手で、残りは傭筆で書写し、全巻の校正をおこなった。嘉禎2(1236)年に唐本で以て校点を加え、更に建長4(1252)年に「貴所(冷泉宮)」の御本で以て再度校点を施した。これらは紀伝点が施されており、渋引表紙の装丁で奉重の外題が手筆された巻子本であったと想定される。のち、設立後間もない時期に金沢文庫に収められ

平安時代に日本にはいてきたものが、400年後の鎌倉時代に金沢文庫に収蔵されたということ。
本家中国には残っていない。物の評価基準の変化が激しい国だから。

日本でもこれらは木版印刷されたのだろうか?
僧侶武士階級はレ点付きのを作り読んだのだろう?

岐阜大学の試料を見ると、江戸時代に刊行されたものは、木版印刷でそこに朱で句読点などが追加されている。

後世の武家などは、争って金沢文庫の蔵書を集めたというが、
貴重品として集めたのか、それともそれを学習する目的で、複製するために集めたのだろうか?

いま一部は東急五島美術館に。確かに手書きだ。当然貴重品だ。

外に出ると、称名寺の庭がすばらしい。

ShoumyoujiP_20150912.jpg

快適な散歩は半月ぶり。
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