横浜から神戸-徳島-高松(3) おへんろ まがい [旅行]
徳島から鳴門にゆき、適当なとこに車止めて自転車でめぐることに。
2月18日雨は降らないが、曇りで風が強い。
近道しようと細い道に踏み込むとわけわからず地元の人に聞きながら行くと、ドイツ兵収容所跡なるところに出た。
回り広々しておりここから自転車。
これがその近くにあった慰霊塔。高速道の下。
近くのドイツ村。
ここに収容所の詳しい紹介。
板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)は、第一次世界大戦期、日本の徳島県鳴門市大麻町桧(旧板野郡板東町)に開かれた俘虜収容所。ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵4715名のうち、約1000名を1917年から1920年まで収容した。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番が日本で初めて全曲演奏されたのも、板東収容所である。
半田の敷島製粉所は、これをもとに敷島製パン。
ユーハイム(カール・ユーハイム)やローマイヤ(アウグスト・ローマイヤー)、そしてフロインドリーブなどは日本に残留したドイツ兵によって創立
ここはドイツ リューネブルグと姉妹都市。ライン川沿いのワインのリュデスハイムと思ったが、その町は北のハンブルグ近くの町。
朝早くから観光バスの団体が来ていた。人気あるのかね?
その近くには賀川豊彦記念館。
キリスト者で、特に関西地区で労働、農民運動などで活躍、世界的にも有名な方らしいが、その方面に音痴なので初めての話ばかりで、敬服しました。小説「死線を乗り越えて」でも有名。
魯迅から送られた漢詩がありました。
荒涼とした草むらに没した家々の暗さは.....耳を澄ますとどこからともなく聞こえてくる。
革命の驚雷が。
見ごたえあってたのしい。
さて、遍路とおもってゆくと、何やら立派な神社。大麻比古神社
神武天皇の御代、天太玉命の御孫の天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀った。
この辺りは古墳も多い。
4,5世紀というと、日本に感じが伝わってきたころ。多分まだここでは文字はなく、当然古墳の中にも見当たらないだろう。しかしこのころ中国では陶淵明が桃源郷の詩など作っていたんだ。中国との文化の格差に改めて驚く。
歴史あるところなんだ。この土地の人たちには神々が宿ってるのだろう。
ようやく遍路No1へ。地図から見ると今日は10寺くらいは回れそう。空海弘法大師様におすがりしなくては。
しかし、寒さのせいか霊山寺は森閑としている。
次の極楽寺も、
金泉寺では、自転車で回っているの褒められ思わず、車で来ているの言えなくなった。
親切に案内してくれたので、案内本など買って読んでみると、
道中まじめに修行しなさい とあり。酒ダメとんでもないとあり仰天! 酒びたりの生活しかできないのに。
あわててよく見ると、修行は大変なことわかり、そうそうに引き上げる気持ちに。
十善戒(じゅうぜんかい)
一、不殺生(ふせっしょう)
二、不偸盗(ふちゅうとう)
三、不邪淫(ふじゃいん)
四、不妄語(ふもうご)
五、不綺語(ふきご)
六、不悪口(ふあっく)
七、不両舌(ふりょうぜつ)
八、不慳貧(ふけんどん)
九、不瞋恚(ふしんに)
十、不邪見(ふじゃけん)
第4 大日寺。
第5 地蔵寺。これは広大な敷地に。
五百羅漢も
羅漢はお釈迦様無くなった後に経典まとめるために集まった高弟。
16,500などの石像が多いが、ここのは木彫りだろう。
ここまで来たら風も強くなり、高松に撤収することに。
それにしても、遍路に比べると、先日見た聖地巡礼は、エネルギ、規模、文化いろんな面で なんととも情熱的。
この次 心入れ替えて出直します。
2月18日雨は降らないが、曇りで風が強い。
近道しようと細い道に踏み込むとわけわからず地元の人に聞きながら行くと、ドイツ兵収容所跡なるところに出た。
回り広々しておりここから自転車。
これがその近くにあった慰霊塔。高速道の下。
近くのドイツ村。
ここに収容所の詳しい紹介。
板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)は、第一次世界大戦期、日本の徳島県鳴門市大麻町桧(旧板野郡板東町)に開かれた俘虜収容所。ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵4715名のうち、約1000名を1917年から1920年まで収容した。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番が日本で初めて全曲演奏されたのも、板東収容所である。
半田の敷島製粉所は、これをもとに敷島製パン。
ユーハイム(カール・ユーハイム)やローマイヤ(アウグスト・ローマイヤー)、そしてフロインドリーブなどは日本に残留したドイツ兵によって創立
ここはドイツ リューネブルグと姉妹都市。ライン川沿いのワインのリュデスハイムと思ったが、その町は北のハンブルグ近くの町。
朝早くから観光バスの団体が来ていた。人気あるのかね?
その近くには賀川豊彦記念館。
キリスト者で、特に関西地区で労働、農民運動などで活躍、世界的にも有名な方らしいが、その方面に音痴なので初めての話ばかりで、敬服しました。小説「死線を乗り越えて」でも有名。
魯迅から送られた漢詩がありました。
荒涼とした草むらに没した家々の暗さは.....耳を澄ますとどこからともなく聞こえてくる。
革命の驚雷が。
見ごたえあってたのしい。
さて、遍路とおもってゆくと、何やら立派な神社。大麻比古神社
神武天皇の御代、天太玉命の御孫の天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀った。
この辺りは古墳も多い。
4,5世紀というと、日本に感じが伝わってきたころ。多分まだここでは文字はなく、当然古墳の中にも見当たらないだろう。しかしこのころ中国では陶淵明が桃源郷の詩など作っていたんだ。中国との文化の格差に改めて驚く。
歴史あるところなんだ。この土地の人たちには神々が宿ってるのだろう。
ようやく遍路No1へ。地図から見ると今日は10寺くらいは回れそう。空海弘法大師様におすがりしなくては。
しかし、寒さのせいか霊山寺は森閑としている。
次の極楽寺も、
金泉寺では、自転車で回っているの褒められ思わず、車で来ているの言えなくなった。
親切に案内してくれたので、案内本など買って読んでみると、
道中まじめに修行しなさい とあり。酒ダメとんでもないとあり仰天! 酒びたりの生活しかできないのに。
あわててよく見ると、修行は大変なことわかり、そうそうに引き上げる気持ちに。
十善戒(じゅうぜんかい)
一、不殺生(ふせっしょう)
二、不偸盗(ふちゅうとう)
三、不邪淫(ふじゃいん)
四、不妄語(ふもうご)
五、不綺語(ふきご)
六、不悪口(ふあっく)
七、不両舌(ふりょうぜつ)
八、不慳貧(ふけんどん)
九、不瞋恚(ふしんに)
十、不邪見(ふじゃけん)
第4 大日寺。
第5 地蔵寺。これは広大な敷地に。
五百羅漢も
羅漢はお釈迦様無くなった後に経典まとめるために集まった高弟。
16,500などの石像が多いが、ここのは木彫りだろう。
ここまで来たら風も強くなり、高松に撤収することに。
それにしても、遍路に比べると、先日見た聖地巡礼は、エネルギ、規模、文化いろんな面で なんととも情熱的。
この次 心入れ替えて出直します。
コメント 0